永契会会長 古武 弥英(こたけ やひで) (新制高1回)
この度、ご推薦により渡辺会長の後任として永契会の会長をさせていただくことになりました古武でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします。長年にわたりご尽力を頂きました渡辺会長に、心より厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。歴史と伝統あるこの永契会の会長をお引き受けするのは、私には少し荷が重いのですが、今回は高分子学科の卒業生からというお話もあり、最初の卒業生の一人であります私がお引き受けさせていただくことになった次第です。
私が本学に入学致しましたのは昭和34年、1959年ですから、もう50年以上前の事になります。教養課程は、待兼山で過ごしました。当時の面影の残るイ号館の外観を見ますと、懐かしい思い出がよみがえってまいります。60年安保で、大学は騒然としておりました。その分クラスの結束は強かったように思います。
我々の学年は、いろいろな意味で節目の時に本学での生活を送りました。一つは、日本で初めて高分子学科が創設され、その最初の学生となったことです。もう一つは、それまで待兼山の北校と大阪市内にあった南校にクラスが二つに分けられて過ごしていた教養課程が、二年に進学する時をもって待兼山に統合されたということです。さらに三番目は、理学部が中之島から豊中キャンパスに移転する最後の学生の一人になったということです。
中之島では、当時高分子学会の重鎮であられ、先年101歳でお亡くなりになりました村橋俊介先生の研究室にお世話になり、助教授であられ、惜しくも本年お亡くなりになりました野桜俊一先生にご指導を受けました。お二人の先生のご冥福をお祈りしたいと思います。中之島が次第に手狭になってまいりましたし、昭和36年私が三年生の時、第二室戸台風で堂島川が氾濫し、理学部の地下室が浸水で大きな被害を受けたこともあって、待兼山への移転が具体化され、私が修士課程を終えました春に豊中キャンパスへの移転が本格化したわけです。
思い出話ばかりになってしまいましたが、あれ以来半世紀以上が経過したことにあらためて自分自身驚いている次第でございます。
長年にわたりご尽力を頂きました渡辺会長に改めて心より厚く御礼申し上げます。また独立行政法人になりまして、一段とお忙しい中を幹事長として実質的な会の運営を担ってこられ、このたびご退任されます篠原先生を始めとする幹事の先生方に厚く御礼を申し上げます。新しく幹事長にご就任の佐藤先生をはじめとする次期幹事の先生方には引き続きご苦労をおかけいたしますが、何とぞよろしくお願いいたします。
今後は、微力ではございますが永契会のために誠心誠意努力をさせていただく所存でございます。会員の皆様方にも、引き続きご協力をいただきます様お願い申し上げましてご挨拶とさせていただきます。