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新制化学科43回生の近況

2001年11月26日(月)
秋津貴城(新制化43回)

 大阪大学理学部化学科に入学したのが、湾岸戦争の勃発した1991年の春、卒業したのが、阪神淡路大震災に見舞われた1995年。なにかと物騒な巡り合わせの新制化学科43回生も、社会の各方面に巣立ち、早いもので、おおむね三十台を迎えた。ちょうど、論語でいう「三十にして立つ」年代である。

 懐かしい同期生からの年賀状は、次のような近況を知らせてくれた: ・工学系の助手となり、理学部と異なるスタンスで、化学科で学んだことを生かし材料を研究。 ・留学後、海外の薬品会社に就職し、ボランティアで化学に関する質問を受け付けるWebサイトを開設。 ・大手電機メーカーに勤続5年で、東京の研究所に栄転・量子化学出身の化学及び物理の理論研究者として、物性を研究ノ等々、それぞれに活躍しているようである。

 さて、私事であるが、化学専攻・錯体化学研究室(現・今野研)で、巧妙な分子設計と偏光結晶分光法により、配置間相互作用のため帰属困難とされた平面型銅錯体の電子遷移を初めて観測して学位を取得した。修了後、高分子科学専攻・蛋白質物理構造研究部門(月原研)に移り、世界最高水準の放射光施設SPring-8を擁する構造生物学の第一人者、月原冨武教授のもとで、X線結晶構造解析と偏光結晶分光法により、呼吸酵素の鉄活性中心の電子機構を研究する機会に恵まれ、金属蛋白質の立体構造と機能の解明に微力ながら貢献できた。今春には11年間過ごした阪大を離れ、金属錯体のX線結晶構造解析の齋藤喜彦先生をルーツとする無機化学の研究室に移る。

 こうして振り返ると、分光化学系列(と折り紙)の槌田龍太郎先生以来の配位子場理論の実験的検証を機軸に、仁田勇先生の拓いたX線結晶学を主な手法として、赤堀四郎先生の設立された蛋白研で金属蛋白質へ展開しと、阪大化学科の「お家芸」を起源とする研究をしてきた。これからも、永契会の諸先輩に追いつくよう、新しい化学を目指し、謙虚なChemistでありたいと思う。

 末筆ながら、本稿の編集でお世話になった、永契会幹事長・楠本正一先生、副幹事長・佐藤尚弘先生に感謝する。

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