我々昭和15年(1940年)卒業の第5回生は今年で卒業60年を迎えました。戦前、戦中、戦後と激動の時代を乗り切り、殆どが80才を超えましたが、約半数が生存しており、年2回のクラス会を続けておりますので、その間の状況を記録に残したく、書き留めておきます。
卒業25周年までは故音在清輝君が面倒を見て、数回開催されたが、戦後の混乱期に今では考えられない重文の適塾の座敷を借り、コンロを持ち込み、すき焼き会をしたことで、音在君ならではの演出と今でも記憶に残っています。25周年を迎えて、久し振りに盛大なクラス会を開催すべく、場所を宝塚売布の松楓閣に設定、昭和40年5月6日、小竹、仁田、赤堀、佐多の諸先生をお呼びして初めてのクラス会を開催した。このときの参加者は10名でした。続いて昭和50年5月小竹先生を囲んで、西宮はり半で、14名参加、更に52年5月仁田先生を囲んで、先生のご希望で、ロイヤルホテルの有名な常長シェフの料理を頂き、54年7月には赤堀先生を囲んでまたもはり半で開催、翌55年9月20日、40周年として、比叡山延暦寺で物故者の供養を兼ねて比叡山ホテルで会食した。44周年は佐多先生ご夫妻を囲んで、阪急の白楽天で、この時先生から夏場滞在されているスイス、ローザンヌの家に来ないかと、お誘いがあり、計画を立て、翌年7月、夫人を含め8名でスイス、ローザンヌの先生宅を訪問、近郊のホテルLe Miraadorで45周年を祝った。この時のお礼として、翌年4月有馬温泉で先生ご夫妻をお呼びして、夫人共15名で一泊の会合をしたが、これが最後で、佐多先生はスイスへ帰られて、間もなく逝去された。50周年(平成2年10月)はグランドホテル竹葉亭で簡単な昼食後、理学部跡に出来たモニュメントを見物した。
また、40周年には生存者全員から、40年間の履歴、研究報告の他、在学時代の思い出等を集め、A4判150ページの資料集を作成、全員および先生方に配布した。
50年を過ぎてから、単に飲み食いだけのクラス会では意味がないと有志が集まって、月1回、頭の老化を防ぐため勉強会として、前に報告したように長堀コロキウムと称し、平成5年10月から毎月開催、平成9年12月の38回まで続けて終了した。この間の予稿集は現在も残っている。この間全員の昼食会は年2~4回開催、本年11月の集会で正式のクラス会は終了して、後は適当に集まることとする。現在生存者9名、よくも続けてきたものと自負している。