伊藤 民生
1953年4月、当時北校(旧浪速高校)と南校(旧大阪高校)に分かれていた教養コースを終えて中之島の理学部化学科に集まったのは28名。丁度高分子化学と生化学の勃興期に際会し、錚々たる教授陣に恵まれてひたすら勉学にいそしむ(?)ことが出来たのはまことに幸いなことでした。まだ戦後復興期で不自由なことも多い時代でしたが、それぞれに良い思い出を残して55年に卒業、吉川君の提案でクラス会を"立心会"と命名しました。
卒後間もなく仁田君を病で失ったあとは、昭和ヒト桁生まれは成長期に栄養に恵まれなかったので短命であろうとする説が一時あったにもかかわらず一人も欠けることなくリタイア期を迎えることが出来ました。しかるにここ数年の間に、浅田、福塚、藤原の諸君が相次いで去って逝ったのはまことに残念なことです。ということで現在会員数は24名。
最近はほぼ隔年でクラス会を開催しています。箱根、神戸、奈良と来たので今回は関東の順番に当たり、米山、佐野、城、伊藤が世話役となって最近発展著しい横浜のみなとみらい地区で開催することとなりました。
07年5月16日、296mの日本一の高さを誇る横浜ランドマークタワーの上層階を占めるロイヤルパークホテルに集合、参加者14名。夕食は中華街の老舗にでかけました。食事を楽しみながらお決まりの近況報告。それぞれに趣味を大切に自適の日々を送っているなかで、現役で頑張っている城君(病いを克服しながら呼吸器医療機器の輸入開発に奮闘)と向畑君(高知工大で多糖類とエコロジーの融合めざして大実験中)に拍手。会の幹事、会計、永契会担当を選出。ホテルに戻って世話役の部屋で窓外の横浜の夜景を眺めながらダベリ会。心臓や脳の不具合の経験談や腰痛などの身体の不調が話題に上るようになったのは、70台半ばという年相応というべきか。今回参加出来なかった人も多くは健康上の理由で元気回復を祈らずにはおれません。
卒後50年に当たる2年前の奈良での集まりで佐藤君の提案で作ることとなっていた記念文集が、向畑君の努力で編集、制作を終わり当日配布されました。見開き2ページ、写真入りで各人それぞれ学生生活あるいは社会生活を回顧し、クラスメートの連帯を確かめるよすがになったと思います。
翌朝は階上の和食レストランで小雨にけぶる横浜港を眺めながら朝食。ホテルをチェックアウトしてタクシーで港の見える丘公園へ。大仏次郎記念館やバラ園、外人墓地を巡り、開港時代の横浜を偲び、雨上がりのベイブリッジを観望、山下公園をぶらぶら歩き、大桟橋たもとの北欧料理店で名物料理に舌鼓を打って昼食、再会を約して解散。
次回は08年9月大阪で開催する方向で準備が進められている模様、少しでも多くの旧友が相集いたいものです。
写真前列左より 伊藤、米山、鈴木(不)、城、高尾
中列左より 窪田、鈴木(英)、真下、吉川、佐野
後列左より 向畑、稲塚、高橋、芦田