福本敬夫(新制化25回)
前回箱根で開いてから15年、延び延びになっていた同窓会をやっと開くことができた。「やっと」というのは、ここ毎年関西在住の同期は、新年会といっては気軽に集まっていたが、その折関西以外に住んでいる人たちにももっと声をかけよう、と言いながらなかなか実現しなかったからである。しかしながら、よく考えてみれば前回箱根で開いたのが卒業して10年後、今年はさらに15年経っているので25年後、歳も四捨五入すれば皆50歳、そして私たちは化学科25回生と、数字のゴロ合わせだけはうまくいっているとひとり納得しているのだが。
今回姫路で同窓会を開いたのは、大学を卒業してまもなく、原因は未だかって不明なのだが、亡くなった同期のI氏のお墓参りを実現するためでもあった。そこで同窓会に先立ち、参加できる方はできるだけ、ということで市内のお寺にお墓参りに行くこととしたが、ほとんど全員参加してくれた。I氏との付き合いは様々であったが、お墓参りをしながら大学時代のことや研究室でのこと、また一緒に遊んだ思い出などを皆で暫し話し合った。きっとI氏も墓の下で、久しぶりの再会に懐かしく感じてくれたことだろう。年度末の忙しい時期に駆けつけてくれた皆に感謝したい。
同窓会は夕方から市内の中華料理屋で開いた。北は盛岡、南は大分からと20名の参加者であった。中には前回の箱根に参加していないために、卒業して以来という懐かしい顔もあった。皆で再会を期して乾杯をした後、同窓会お決まりの近況報告をしてもらった。箱根のときと違ったのは、皆歳を取ったことや時節柄であろうか、話題の中心が職場や家庭内に様々な問題を抱えていることであった。各人が各人なりに、それぞれの人生の重みを背負って生きているということであろう。しかしながら、宴も半ばになると皆久しぶりに学生時代に戻り、大学時代の思い出話など話題が途切れることなく、各テーブルで談笑が続いた。学生時代の隠されたエピソードや暴露話は出なかったが、話題は尽きることなく、中華料理屋から場所をかえて喫茶店での1.5次会、ホテルのラウンジでの二次会、そして宿泊先での深夜に及ぶ三次会と延々と続くはめとなり、翌朝はほとんどが睡眠不足と二日酔いの状態となった。
しかしながら、時の経つのは早いものである。私たちが卒業してから四半世紀が過ぎようとし、当時若さに溢れ、目を爛々と輝かせていた若者も、今ではいわゆる「いいおっちゃん」である。外見はさすがに当時のままとはいかないが(自分は昔とほとんど変わっていないと思っているものや、昔の面影をすっかりどこかに捨ててきたものなど様々であるが)、心のどこかには「永遠の青年」の気概を持ち続けているのが感じられる。同窓会とは、そんな気概を思い起こさせてくれる、ふっと立ち寄った居酒屋かもしれない。
(後記)
同窓会の盛り上がった雰囲気の中で次回は5年後と決まったが、ルーズな我が同期である。きっと5年後には開かれず、前述の「ゴロ合わせ理論」に従えばよくて10年後、まさか25年後ということにはなるまい。そういえば翌朝、風が強く寒い中、皆との別れの言葉は「じゃ、また」だったっけ。