1931 昭和6年 |
大阪帝国大学官制公布(医学部、理学部). | |
1932 昭和7年 |
理学部に数学科(1講座)物理学科(1講座)化学科(2講座)設置. | |
1933 昭和8年 |
化学科学生12名入学. 勅令改正により数学科(2講座)物理学科(2講座)化学科(3講座)となる. 東野田に工学部設置. | |
1934 昭和9年 |
理学部本館竣工(北区常安町).3学部成立式典挙行. | |
1935 昭和10年 |
理学部内に財団法人繊維科学研究所を設立. | |
1936 昭和11年 |
第1回生卒業. | |
1939 昭和14年 |
産業科学研究所設置. | |
1941 昭和16年 |
太平洋戦争勃発. | |
1945 昭和20年 |
広島・長崎に原爆投下され終戦. | |
1948 昭和23年 |
大阪大学理学部同窓会発足. | |
1949 昭和24年 |
新制大学(4年制)発足. 文学部、法経学部が加わる. 理学部に生物学科設置. 理学部同窓会名簿発行. |
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1953 昭和28年 |
新制大学第1回生と旧制大学最後の第19回生が同時卒業. 化学教室主任槌田先生が化学科創設二十周年記念行事を提案. 10月17-18日記念講演会、同窓会としての永契会発足、ならびに運動会が行われた. 永契会誌創刊号発行.真島先生の「最近20年間の追憶と将来の希望」と「会名の由来」[註]、さらに「研究室20年」として各研究室の生い立ちと研究成果が掲載されている. 記念講演には学外から下記二件他の講演があった. ・ 大庭成一(富士フィルム) 天然色写真の機構 ・ 佐藤洋一(松下電器) 品質管理 |
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1955 昭和30年 |
5月21日永契会主催にて小竹先生の退官記念講演会が毎日新聞社講堂にて開催され下記の講演があった. ・ 久保田尚志 自然の中に見出される面白さ(イポメアマロン) ・ 井本稔 ゴムでないゴム ・ 村橋俊介 合成化学の話 ・ 槌田竜太郎 有機と無機 最後に小竹先生が挨拶され、会場は満員の盛況であった. |
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1956 昭和31年 |
大阪大学創立25周年記念式典挙行(大阪帝国大学官制公布より). | |
1958 昭和33年 |
蛋白質研究所設置. | |
1959 昭和34年 |
理学部内に高分子学科設置. | |
1965 昭和40年 |
永契会誌第2号発行 仁田先生の「永契会に語るよろこび」に歴史的資料保存の強い要望あり. また全国にさきがけての高分子学科設置につながった繊維科学研究所設立への呉先生の創意と大阪産業界の熱意を忘れてはいけないと書かれている. 中川先生による理学部移転の状況報告と各研究室の消息、会則改正の臨時総会の報告(大学院卒業生を正会員とすること他).また会誌は原則として毎年一回発行とした. 末尾に幹事より永契会として名簿の発行以外のことを実施する時間的・金銭的余裕なき苦衷が述べられている. |
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1966 昭和41年 |
理学部豊中移転完了. 永契会誌第3号発行 小竹無二雄先生「回顧」に理学部創設時、楠本長三郎先生をはじめ医学部関係者から理学部に与えられた有形無形の援助を忘れてはならぬとある. また「わが社 わが友」に産業界で活躍されている卒業生の紹介あり. |
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1968 昭和43年 |
繊維科学研究所を高分子研究所と改称. | |
1969 昭和44年 |
永契会誌第4号発行(名簿のみ) | |
1970 昭和45年 |
永契会誌号数なし (名簿の追加と変更) | |
1971 昭和46年 |
永契会誌第5号発行(名簿のみ) | |
1972 昭和47年 |
永契会誌第5号の訂正および変更として号数なしで発行されている. 広田先生の寄稿「明治の科学者」あり. 明治時代に洋行した学者達の気負いと帰国後に直面した困難について述べておられる. |
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1973 昭和48年 |
永契会誌第6号にあたる会誌が号数なしで発行されている. 各研究室の消息あり. |
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1975 昭和50年 |
永契会誌第7号発行(名簿のみ) | |
1976 昭和51年 |
永契会誌第8号にあたる会誌が号数なしで発行されている. 小竹先生の「老人の繰言」ではドイツ留学時代、ヴィーラント先生が日に二回実験室に来られ、Herr Doktor, etwas Neues ? と訊ねられた追憶に重ねて研究とは体で覚えるものであることを強調されている.また頭が良いと先が見え過ぎて足許の小さな事実を見逃してしまうとも言われている. 「研究室紹介」には各研究室の消息を記載 巻末に会員数の増加にともない会誌発行が財政的に難しくなりつつあると懸念している. | |
1977 昭和52年 |
永契会誌第9号発行(名簿のみ) | |
1978 昭和53年 |
永契会発足25周年. | |
1980 昭和55年 |
永契会誌第10号を2年遅れながら25周年記念号として発行 「研究室の25年」として各研究室の研究成果と「会員状況」として各卒年の会員からの短信掲載. 25周年記念号の2年遅れの発行が後年永契会発足の年の誤解につながったと思われる. |
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1982 昭和57年 |
永契会誌第11号発行(名簿のみ). | |
1983 昭和58年 |
永契会発足30周年. | |
1984 昭和59年 |
永契会NEWSLETTER No1発行 印刷費高騰のため名簿を有償にて配布することになり永契会関連ニュースを全会員に伝えるため NEWSLETTER(以下N/Lと略)の発行となった. |
永契会NEWSLETTER No1発行 |
1985 昭和60年 |
永契会誌第12号発行(名簿のみ). 永契会N/L No2,3発行 2年遅れで永契会発足30周年記念講演会を開催. ・ 水野健次郎(美津濃) スポーツと化学 ・ 勝村龍雄(大阪曹達) 企業と学問 ・ 湯川泰秀(名誉教授) 化学の未来 |
永契会N/L No2,3発行 |
1986 昭和61年 |
永契会N/L No4発行 | |
1987 昭和62年 |
永契会N/L No5発行 | |
1988 昭和63年 |
永契会誌第13号発行(名簿のみ) | 永契会N/L No6発行 |
1989 平成1年 |
永契会N/L No7発行 | |
1991 平成3年 |
永契会N/L No8発行 | |
1992 平成4年 |
永契会誌第14号発行(名簿のみ) | |
1993 平成5年 |
卒業年次ごとにクラス会幹事をおくことを決める. | 永契会N/L No9発行 |
1995 平成7年 |
永契会N/L No10発行 | |
1996 平成8年 |
大学院重点化に伴い、高分子学科と化学科とが統合. 永契会誌第15号発行(名簿のみ) |
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1997 平成9年 |
永契会N/L No11発行 | |
1998 平成10年 |
永契会N/L No12発行 | |
1999 平成11年 |
理学懇話会発足. | |
2000 平成12年 |
10月5日新しい化学・高分子科学棟完成. | 永契会N/L No13発行 |
2001 平成13年 |
永契会誌第16号発行(名簿のみ) 大阪大学創立70周年(昭和6年の官制公布より)記念祝賀行事が5月5,6日中之島国際会議場にて盛大に行われた. 理学部同窓会主催の第2回講演会に各科の同窓会が足並みを揃えて協力した. ・ 芝哲夫(名誉教授) 大阪の化学の伝統 ・ 平尾泰(名誉教授) 重粒子ビームによる難治癌治療 |
永契会N/L No14発行 |
2002 平成14年 |
化学・高分子科学新棟披露式典における祝辞として関集三先生が大阪大学の歴史を要約しておられる. 理学部同窓会主催の第3回講演会に永契会が協力. ・ 永見憲三(サントリー) 酒類製造における異分野技術の利用 ・ 泉美治(名誉教授) 私の研究を支えたもの |
永契会N/L No15発行 |
2003 平成15年 |
2003年は理学部化学科創設(第1回生入学)より70周年にあたり、旧制最後の第19回生と新制第1回生が同時に卒業してから50周年でもある.また同窓会に永契会の名が与えられた年から50年でもあるので記念すべき年であった. | 永契会N/L No16発行 |
2004 平成16年 |
大阪大学創立70周年記念事業の一つ中之島センターが完成. | 永契会N/L No17発行 |
2005 平成17年 |
4月29日理学部同窓会主催の第6回講演会を永契会の協力で開催. ・ 菅宏(名誉教授) 研究の遺伝子 ・ 加藤郁之進(タカラバイオ) がんの遺伝子治療 ・ 岡本佳男(高分子学会会長) 高分子の魅力 そのあと永契会総会と二年遅れではあるが永契会発足50周年の祝賀会を開催. |
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2010 平成22年 |
1月22日 永契会ホームページを大幅更新。WEB名簿システムも同時に立ち上げ. | 永契会N/L No23発行 |
[註] 永契会誌創刊号2ページ目に眞島利行先生の「会名の由来」がある。
そもそもこの会名は明治29年に一高を卒業した、理科の組のものが、その組だけでつくった同窓会に会員の一人の私がつけたものであった。これはその頃会員全部に、動物に因んだ愛称がもれなくついておったので、アニマル・キングダムの頭字を取り、AK会と称したのに、漢字をあてはめたものであった。総員三十名を迎えたが、今でも十数人はまだ健在で、東京で春秋2回会合をつづけている。地方在住または健康上の理由で集まるものは右の半数に近い。前後の年に卒業した組よりは長寿者も多く、学会その他に貢献の大なる人も少なくない。この度阪大の化学同窓会の委員の方から、会名をつけよとの委託を受けて、種々考えたが、やがては自然消滅になるほかなき従来のAK会の名を御頒けすることにした。そして私はこの新しい永契会がA.KLASSE の会員を多く持てるように永続して、本家であった会よりも一段と縁起の善い歴史を有せられるに至らんことを謹んで祈望する次第である。