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クラス会報告

池中 徳治(旧制15回)



 私達旧制15回生が、卒業50周年の記念同窓会を平成11年4月13日に開催したことは、同年のニューズレターに掲載しましたが、この記念同窓会を機に、毎年1、2回同窓会を誰かが順番に世話をして開いています。全員喜寿を過ぎた老青年なので、会合は何時も昼1時頃から、大阪、京都近郊で椅子席の会場で、昔話や、病気や各自の健康状態の話に付け加えて、世界、日本の政治、経済の話もちょっぴり。昨年の11月22日は中西君の世話で、梅田、丸ビルの東天閣で5人が出席して同窓会を開きました。その時撮った写真です(右から宮原、池中、鈴木、三角、中西)。何時も出席する松浦君、長谷君は欠席でした。同窓生の近況は次の通りです。
 栗林俊介君は、長年、心疾患等で闘病生活を続けていますが、4年前には脳梗塞、昨年には肺炎に罹り、また重い心不全で危険状態になったようですが、快復して、体調のよいときには、クラシック音楽を楽しんでいるようです。
 鈴木啓介君は、停年退職後毎年旅行する国の言葉を勉強、昨年はルーマニアとロシアに旅行したそうです。それらの経験の結果わかったのは、生活が楽な国の言葉ほど初心者には易しく、取っ付きやすい傾向のあることだそうです。
 黒岩章晃君は、停年退職後、悠々自適、カメラを抱えて野山を散歩する日々を送っていましたが、昨年3月腫瘍のため右腎臓摘出、11月には前立腺癌の手術を受けましたが、癌の方は大丈夫との医者の保証があったようで一安心だそうです。
 中西正七君は、長年築き上げてきた(株)大阪合成有機化学研究所を他社に譲り、代表取締役を退任、顧問として余裕のある生活に返り、週1回のテニスと旅行を楽しんでいるようです。
 長谷綱男君は、これまで鹿児島市と茨城県土浦市の両方に家を構えていましたが、一昨年から茨城県の牛久市に移りました。体のあちらこちら故障があるようですが、年並みの元気はあるようです。時々は新幹線で大阪での同窓会に出席しています。
 古山晴久君は、相変わらず体調がよくないようですが、「日暮れて道遠し」という現況だそうです。
 三角壮一君は、第二の勤務先福井工大を退職し3年になり、時々学会には出席していますが、化学から遠のきつつあるようです。最近は13年前に始めたサンドブラスト法ガラス工芸にのめり込み、毎年、三越日本橋店、梅田阪急百貨店などでグループ展示会を開いて、多くの人に宣伝中。体験希望者の来宅を歓迎しています。
 松浦輝男君は、毎年4月1ヶ月間、中国、天津の南開大学に行き、学生を指導、後はメールで研究指導し、現在も第一線で活躍中。前立腺の手術で小さい癌が見つかったり、昨年は膀胱に小さいポリープが見つかったので、除去後、制癌治療を行っているようですが、元気な様子で、毎日、自宅近くの松浦(?)図書館で勉強しているそうです。
 宮原和彦君は、悠々自適とは言いたいのですが、最近、膀胱に異常が見つかり、検査を何度も受けているようですが、同窓会にも出席しているので、一応元気なのでしょうか。
 池中徳治は、帝塚山学院短大退職後は殆ど学会関係から遠のき、ロータリークラブ関係の活動だけをしています。今年の6月末まで2年間、国際ロータリー2640地区のガバナー補佐としてちょっと忙しい日々を送っています。体調も年相応なのでしょう。
 桐山(射場本)秀子さん、三輪(掛田)霞さんは体調がすぐれない様子で、松室博嗣君の近況は掴んでいません。

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旧制16回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

槌田 昭三(旧制16回)



 平成14年5月27日、28日の両日、古都奈良で開かれた2年ぶりの同窓会は、好天に恵まれお陰様で無事に終了することが出来ました。今回も、ご自身やご家族の健康問題或いは所用と重なって出席出来なかった方々が多く、2日とも参加されたのは木田、小林、榊原、中倏、槌田、望月、森の7名、初日の宴会のみ参加されたのは、関、永井、宗行の3名、同窓生19人中の10名に止まりました。
 27日午後5時、JR奈良駅に程近い「ホテルフジタ奈良」のロビーに集合、6時から7階の「花鏡」で宴会を行いました。まずこの2年間に物故された上園君と薮本君のご冥福を祈って黙祷を捧げた後、全員の健康と再会を祝して乾杯、その後、一人ずつ近況などを話して貰いましたが、夫々お元気で、リタイア後の生活を本当に楽しんで居られる様子が伺われ、嬉しい限りでした。
 宴席で2時間余りも話したのにまだ話し足りず、席を1階のバー「オールドタイム」に移して、結局10時近くまで喋り合いました。当夜帰られた3名の方々は、恐らく真夜中に近い帰宅になったのではないでしょうか。2年ぶりの再会とはいえ長時間心おきなく喋りあえるのは、やはり青春時代を共に過ごした友だからでしょう。翌28日は、8時に1階のレストラン「クリオール」で朝食後、チャーターしたジャンボタクシーで世界遺産を見学しました。まず、薬師寺で再建された西塔や国宝の仏像、それに平山郁夫画伯の大唐西域壁画などを見学、復元された伽藍の規模の大きさに驚くと共に、その事業を進められた歴代の貫主の熱意と努力に感心しました。次に行った唐招提寺は残念ながら目下修復中なので、時間の関係もあって外から見るに止め、次に秋篠寺へ。ここでは有名な技芸天を拝ませて貰いました。掘辰雄が「東洋のミューズ」と賞賛した優美なお婆と慈愛に満ちたお顔、それに時間を超越したお寺のたたずまいに、しばし浮世の喧操を忘れる思いでした。最後に、特別史跡として復元中の平城宮跡の中で一番東に位置する東院庭園を見学、恐らく外国の使者をもてなしたであろう場所で往時の繁栄を忍んだ次第です。丁度12時にホテルに帰着、皆で昼食を共にした後、2年後の再会を約して解散しました。
 お互いまだまだ元気とはいえ、歳相応の不具合も出てくる年代です。それに、悠々自適の毎日とはいえ、時には昔の友人と心おきなく話し合う機会もまた有り難いものです。我々の同窓会も、お互いが元気な間はいつまでも続けて行きたいと心から願っています。

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旧制17回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

大須賀昭夫(旧制17回)


 前年の卒業50周年クラス会に続いて。2002年5月15~16日に芳崎 保君のお世話で、彦根城の向いにある彦根キャッスルホテルでクラス会を開催しました。予定の5時前から三々五々に集まった一行は先ず籤引きで寝室を定め、先ず入浴。浴衣に着替えて6時半には宴会場に集合しました。7名の物故者の霊に黙祷を捧げて開会。西海四郎君のユニークな卓話を伺った後、型通りの乾杯から宴会に突入。出席者は写真の前列左から笹田、西海、有元、安藤、寒河、後列左から村松、八田、芳崎、井上、今村、浅井、西川、田島、大須賀、林の15名。喧々囂々たる歓談と『最新の自己紹介』、さらに宴会場から寝室に場所を移してからの様子はご想像におまかせします。翌朝は前日の深酒にも係わらず全員早朝より元気に起床、1年後のクラス会での再会を約して一応解散。彦根城や玄宮園を見学するグループと竹生島を目指すグループに分かれて新緑の下、それぞれの余韻を楽しみました。

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旧制18回生クラス会

2010年02月24日(水)

早野和夫(旧制18回)


 昨年は卒業50周年を迎えました。記念の年でしたので、講演会をするか、一泊旅行に出かけるかなどが考えられたのですが、準備不足もあり、結局梅田の中華料理店に集まることになりました。関東から参加してくれた人もいて12人が集まり、学生時代の話から始まって最後はひとりひとり、その後の活躍ぶりや業績を熱っぽく語りました。50年の間に起きた出来事でほとんど忘れていたことも思い出され、大いに若返った気分になっていました。また金婚式を迎えた人や喜寿の人、さらには個人的に三重の喜びを味わった人もいて、卒業50周年の話題に花を添えてくれました。午後のひとときもあっという間に過ぎ、次回の幹事は大阪と広島をまたにかけて活躍中の花房君にお願いし、今回出席できなかった人々も含め全員元気に再会することを約束してお開きとなりました。
 なお、今回の出席者は清川、大島、近松、山部、早野、松本、大塚、大原、土岐、花房、中南、小林。

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旧制19回生クラス会報告

2010年02月24日(水)

川岸功路(旧制19回)


 我々永契19回生は旧制化学科の最後の卒業生として今から丁度半世紀前の1953年3月に中之島の理学部校舎を巣立ちました。正確に50年前に旧制と新制のバトンタッチがあったわけです。この時のクラスメートの渡邊英二君が今回永契会の新会長に就任することになったのも不思議な巡り合わせのような気がします。
 長い永契会の歴史のなかで数々の輝かしい業績を挙げて、学界に社会に多大な貢献をしてこられた先輩後輩諸賢の活躍は同窓として誠に誇らしい思いです。
 わがクラスメートも大部分が第一線から退き、時間の余裕ができるようになったので、一昨年は東京で、昨年は10月22日に大阪でクラス会を持ちました。昨年は現存者25名の内18名が出席という盛会で、関東9名関西9名でドイツ暮らしの多い奥田君を含め久闊を叙した次第です。
 優れた先輩方に続き我々の仲間でも各界で活躍する者が多く、渡邊君(元日揮会長、日本化学工学会会長、勲三等)以外にも、長らくNYのロックフェラー大学においてガン研究の最先端の仕事をされ、ノーベル賞候補とも目された花房秀三郎君(文化勲章受賞、学士院会員)や固体の非平衡現象の研究で学士院賞を受けられた菅宏君(勲3等)、その他多士済々とは些か自賛が過ぎるかもしれませんが、それぞれの分野での権威者がかなりいるようです。
 クラス会ではお定まりの健康談義から学界業界の事情紹介もあり、海外視察あるいは遊覧報告、さては趣味の世界にまで話題は広がり、まことに力強い限りでした。
 閉会後、馬場、佐武、前川、川岸の4名が堺市上野芝にお住まいになる村橋俊介先生をお訪ねしました。94才になられる先生は奥様ともども実にお元気で、50年前の弟子達の報告に興味深く耳を傾けられ、時には的確な指摘をされるなど、五感記憶力とも頗るご健康なご様子に感嘆しました。萩原先生、故大塚先生、滝沢先生はじめ我々が教えを受けた先輩方のご消息や研究室時代の懐旧談も出て時を忘れて歓談させて頂きました。瞬く間に夕暮れが迫り、往時と少しも変わらぬ温容に師恩を改めて感じつつ辞去したことでした。

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福井俊郎(新制1回)


 私たち新制1回生は1953年卒業ですから、クラス会は五三会と呼んでいます。名付け親は槌田龍太郎先生。年に1回集まっていますが、昨年は6月1日(土)に六甲山上にある上田六甲山荘で会を開きました。もう皆さん70歳を過ぎていて、仕事の第一線から退いていますが、東京、博多など遠くからの6人を含む21名が集まりました。下の写真:前列の左から、栗田、出垣、境谷、宗像、関口、中島、短田、矢野。後列の左から、福井、河波、菅江、高科、吉田良之助、北村、覚道、森健夫、林、川戸(山田)、尾山(西村)、清井(沼島)、稲畑の諸氏です。20名の欠席者から寄せられた近況は、プリントで出席者に配られました。毎年よく参加して大声で話していた大山忠雄君が、食道ガンで入院生活4ヶ月のあと、平成13年12月19日に永眠したのが残念でした。
 賑やかな夕食のあと7人が下山して、残った14人は部屋へ引き上げ、夜遅くまでよく飲み、よく話しました。翌朝も快晴でしたので、森を抜けてオルゴール・ミュージアムまで30分ほどの道を歩きました。ミュージアムと高山植物園を見学のあと、女性3名は六甲山に残り、男性8人は2台の車に分乗して、立杭焼「陶の郷」までドライブ。うまいウドンで昼食のあと、名品と登り窯の見学に時間をかけて、4時頃に宝塚で解散しました。今年は卒業50周年に当たります。物理・数学・生物学科の同期卒業生と一緒に記念の合同クラス会を開催して、その後に国内旅行をすることにしています。その模様は、次号で報告することができるでしょう。
 

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戸川晴雄、小林 実(新制化4回)


 新制4回生クラス会は、近年は毎年開くことにして98年箱根、99年赤穂、00年福井、01年長浜と続いてきました。02年は4年ぶりに関東地区での開催となり、11月10~11日快晴に恵まれた修善寺&富士にて16名出席で行いました。
 修善寺は伊豆箱根鉄道三島駅発着13~17時、修善寺温泉着発14~16時でカバーした長閑な旅、源氏興亡哀史の舞台となり母北条政子建立で源頼家を祀った指月殿ほか徒歩30分圏内にある小さな町、一軒しかない喫茶店を満員貸切りにして和菓子でお茶としました。
 故田中章孔、梅田勝、正井満夫三氏に黙祷を捧げた後会食、再会を喜び懇談、近況抱負が語られ暫し充電の秋の一日としました。会食懇談宿泊した富士教育研修所(www.fujiken.gr.jp)は環境設備食事内容コストとも優れ、クラス会には適した施設でした。
 翌日は富士山五合目と富士五湖をチャーターバスにて周回、富士山五合目は風があって体感温度ca.-5℃、河口湖で暖かいほうとうの昼食、青木ヶ原樹海遊歩道は玄武岩ごろ石をフラットにして歩きやすい、富士の湧水白糸の滝を経て、新富士駅に16時帰着解散となりました。限られた日程案の中都合がつかなかった方々には申し訳なし、次回は近畿地区で開催、ご健勝にてまたお会いしましょう、楽しみにしています。

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新制6回生:バケダス例会

2010年02月24日(水)

永井 宏(新制化6回)


 台風21号が足早に東日本を駆け抜けた翌2002年10月2日、第16回バケダス同窓会を鎌倉で開催した。33名中21名が参加。
 北鎌倉駅前に午後2時集合。東慶寺、円覚寺、明月院を観光後宿舎にて一夕歓談、旧交を温める。恒例に従って各人より近況報告あり。大半がサンデー毎日の日々でゴルフ、海外旅行、国内旅行、囲碁、観劇、登山、畑仕事等などそれぞれの趣味、好みに応じて第二の人生を謳歌している状況が手に取るように判る話であったが、まだ現役に足を残し、過ぎ去りし日々に身を付けた知識を大いに活用して世に役立たせようと頑張っている仲間達もいる。いずれにしても知識欲旺盛で歓談がしばしば激論になる事もある。また欠席者の近況も幹事より報告あり、数名の方々は体調不良との事であるが、その他はみな元気で活躍中との事。慶賀の至りである。明3日は鎌倉大仏、長谷寺、鎌倉文学館を観光後昼食、午後は鶴岡八幡宮、源頼朝の墓、北条一門終焉の地である“腹きりやぐら”を見た後、鎌倉駅前にて解散。
 台風一過後でもあり、好天の秋日和の中をよく歩き、よく食べ、よく呑み、そしてよく談笑した一日であった。ここ数年は関東組と関西組で交互に幹事を引き受け、年一回の同窓会を実施しているが、更に分科会を開催して大いに楽しもうとの活発な意見もあり、老いて益々活性化しつつあると言えよう。又、各人の活動範囲も形而上及び形而下の広範な分野に及んでおり、その一端は同人誌“ばけだす”に投稿されてメンバーの楽しみを倍増している。今後に乞う御期待。

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福本敬夫(新制化25回)


 前回箱根で開いてから15年、延び延びになっていた同窓会をやっと開くことができた。「やっと」というのは、ここ毎年関西在住の同期は、新年会といっては気軽に集まっていたが、その折関西以外に住んでいる人たちにももっと声をかけよう、と言いながらなかなか実現しなかったからである。しかしながら、よく考えてみれば前回箱根で開いたのが卒業して10年後、今年はさらに15年経っているので25年後、歳も四捨五入すれば皆50歳、そして私たちは化学科25回生と、数字のゴロ合わせだけはうまくいっているとひとり納得しているのだが。
 今回姫路で同窓会を開いたのは、大学を卒業してまもなく、原因は未だかって不明なのだが、亡くなった同期のI氏のお墓参りを実現するためでもあった。そこで同窓会に先立ち、参加できる方はできるだけ、ということで市内のお寺にお墓参りに行くこととしたが、ほとんど全員参加してくれた。I氏との付き合いは様々であったが、お墓参りをしながら大学時代のことや研究室でのこと、また一緒に遊んだ思い出などを皆で暫し話し合った。きっとI氏も墓の下で、久しぶりの再会に懐かしく感じてくれたことだろう。年度末の忙しい時期に駆けつけてくれた皆に感謝したい。
 同窓会は夕方から市内の中華料理屋で開いた。北は盛岡、南は大分からと20名の参加者であった。中には前回の箱根に参加していないために、卒業して以来という懐かしい顔もあった。皆で再会を期して乾杯をした後、同窓会お決まりの近況報告をしてもらった。箱根のときと違ったのは、皆歳を取ったことや時節柄であろうか、話題の中心が職場や家庭内に様々な問題を抱えていることであった。各人が各人なりに、それぞれの人生の重みを背負って生きているということであろう。しかしながら、宴も半ばになると皆久しぶりに学生時代に戻り、大学時代の思い出話など話題が途切れることなく、各テーブルで談笑が続いた。学生時代の隠されたエピソードや暴露話は出なかったが、話題は尽きることなく、中華料理屋から場所をかえて喫茶店での1.5次会、ホテルのラウンジでの二次会、そして宿泊先での深夜に及ぶ三次会と延々と続くはめとなり、翌朝はほとんどが睡眠不足と二日酔いの状態となった。
 しかしながら、時の経つのは早いものである。私たちが卒業してから四半世紀が過ぎようとし、当時若さに溢れ、目を爛々と輝かせていた若者も、今ではいわゆる「いいおっちゃん」である。外見はさすがに当時のままとはいかないが(自分は昔とほとんど変わっていないと思っているものや、昔の面影をすっかりどこかに捨ててきたものなど様々であるが)、心のどこかには「永遠の青年」の気概を持ち続けているのが感じられる。同窓会とは、そんな気概を思い起こさせてくれる、ふっと立ち寄った居酒屋かもしれない。
(後記)
 同窓会の盛り上がった雰囲気の中で次回は5年後と決まったが、ルーズな我が同期である。きっと5年後には開かれず、前述の「ゴロ合わせ理論」に従えばよくて10年後、まさか25年後ということにはなるまい。そういえば翌朝、風が強く寒い中、皆との別れの言葉は「じゃ、また」だったっけ。

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新制化学科33回生の近況

2010年02月24日(水)

黒川智文(新制化33回)


 私たちが大阪大学理学部化学科を卒業して早17年、今年は全員が40歳代となります。私は竹中 晋君の後任として永契会クラス幹事を引き受けておりましたが、昨年ニューズレター寄稿の依頼を受けた際、自分が同窓生のことを何も知らず、またクラス幹事としての役目を何も果たしていないことに気づきました。これではいかんと一念発起し、まず虫食い状態になっていたクラス名簿を作り直しにかかりました。これには化学科同期生内の「友達の輪」と文明の利器であるe-mailをフル活用し、皆さんの協力によりかなりの成果が得られました。またこの作業を通して同窓生の近況を集めることができましたので、e-mailアドレスを入手できた同窓生にはクラス名簿と皆の近況を配布しました。
 大学入学時にはほぼ似通っていた同窓生の歩みも卒業17年も経つと人それぞれです。卒業後も大学で第一線の研究を続け後輩の指導にあたる人、企業に就職して研究活動を続ける人、学生時代とは異なる分野で頑張っている人、家業を継いだ人、いったん企業に就職した後大学に戻って研究室を立ち上げる人、卒業後再び大学で勉強しなおして自分の目指す道を進む人、勤務先からの派遣等で海外で活躍している人、資格を取って新しい職にトライしようとしている人、などなどです。私自身は大学院修士課程を卒業後就職した製薬企業で、組織改革に伴う何度かの部署配転や海外派遣を経験しながら16年間の研究生活を続け、最近は3名の仲間と共にバイオ関係の仕事に従事しています。家庭では8歳の娘と4歳の息子の父となり、公私共に少しずつ責任が重くなってきたこと実感しております。紙面の都合により同窓生一人一人の近況をここでお伝えできないのが残念です。
 昨年、新制化学科33回生の女性たちが二神(旧姓島内)さんの住んでおられる高知に集まられたそうです。写真はその時に撮られたものです。ちなみに右から2番目のお嬢さんは二神さん(右端)のお嬢さんですが、皆さんお若いので全員同窓生といっても違和感ないですね。残念ながら新制化学科33回生全体の同窓会は卒業後一度も開かれていませんが、同窓生の近況報告にも同窓会の開催を期待する声が多かったのでできれば近いうちに開きたいと思います。またクラス名簿の更新と同窓生の近況報告は定期的に続けていきたいと考えていますので、住所等の変更igel@leto.eo.ne.jpまでご一報ください。

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