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新制6回化学科同窓会“ばけだす例会”は毎年の開催を重ね,今年(2012年)で26回を数えることになった.今回は幹事の戸井浤二さんの企画で,横須賀~横浜を会場として5月17~18日に開催された.
昼過ぎに横浜駅に集合し京急線で横須賀に向かった. “横須賀軍港巡り”の45分クルージングが目的である.現役戦艦を間近に見ることができる“唯一のツアー”とのふれ込みである.出港して間もなく,グレーの戦艦や黒い潜水艦が次々に現れた.最新鋭の装備を備えたイージス艦,巨大な原子力空母ジョージワシントン,ソマリア海賊対策から帰ったばかりの護衛艦,東北大震災で活躍した自衛艦などを目の当たりにすると,TVニュース画面の向こうの世界が目の前に現実として迫ってくる思いがした.
次いで,横文字看板が溢れて基地の街の様相の“どぶいた通り”を経由して,“三笠公園”に向かった.ここにはかっての戦艦三笠が展示されていた.先程見たばかりの最新鋭の戦艦とは100年余ギャップが明白であるが,周辺諸国との関係は随分オーバーラップして見え,背筋を冷たく感じたのは私だけではなかろう.今の時代に即した賢明な知恵が求められるとの感を強くした.
夜は三浦海岸に面した大きなホテルでの会食となった.久しぶりの顔合わせに話は尽きない.学生時代の武勇伝,先生方の思い出,時が経つ程に,三々五々自然発生グループでの議論・歓談などなど,遂にはオペレッタの一場面を美声で熱唱する人が現れ,いつもの同窓ならではの気兼ねない雰囲気が盛り上がった.二次会を切り上げた時は深夜0時を過ぎていた.
翌日は6時45分から朝食というスケジュールである.年の功というべきか,早起きを苦にする人は少ない.全員余裕で朝食を済ませて横浜バスツアーに向けてホテルを出発した.
横浜を半日で効率良く見ようという企画である.目玉は“三渓園”であった.一服の抹茶を頂いた後,散策に移った.江戸~明治の多くの重要文化財指定建造物が,5万3千坪の広大な敷地の自然の地形や樹木の中に絶妙に配置されていた.改めて,時間を忘れて訪れたい所であった.
写真は宴会後の一枚である.今回参加は14名(翌日1名参加)とこれまでの最少となった.体調不良で欠席というケースが増え気味なのは気がかりである.今年喜寿を迎えるという年齢を考えれば自然の成り行き,とは考えたくない.年を意識しないのが老けない秘策である.来年はプロ級の解説付き“奈良寺院巡り”が企画されている.一人でも多く体調を回復して参加者が増えることを願って止まない.(完)
定例日の11月11日は生憎の雨模様でしたが予定通り中之島センターで行われ、10名の方々が参加されました。不自由な身を押して出席頂いた桑田さんには、心からの敬意を表します。現役時代は何時も率先して立案して頂いただけに、クラス会には一入の思い入れがあるものと憶測しております。リハビリが効を奏して杖なしで出席された岩田さんは、原子炉の専門家として福島第一原発の事故を詳しく説明されました。関東から参加して下さった佐武さんと前川さんは声が大きく、しかも張りがあってお元気そのもので、周りの者に活力を与えてくれます。斉藤さんは散歩の距離で明石大橋と淡路島を見下ろす景観地に、神田さんは強固な岩盤の高台に建てられた住居に住んでいて少々の地震は感じないとのことで、共に羨ましい住宅環境です。斎藤さんは神戸大学教養部で長く講義されていたそうで、ノーベル賞受賞の山中伸弥教授もひょっとして受講されていたかも知れませんね。田川さんは早起きと奉仕を旨とするグループに参加されて、クラスの中で最も良い血色をしておられました。川岸さんは健康状態を旨く維持しておられるようで、独特の風格が出てきました。
5年前の楠公レストハウスを予約しても良いとの提案を頂きました。大西さんはさまざまな不調にもめげす、今年も大作を出展されて新芸術展会員に推挙された由、誠にお目出たいことです。欠席通知を頂いた方々の返信ハガキは回覧しましたが、決して軽くない症状に悩まされているご本人、またはご夫人が少しでも元気を回復されますよう、心よりお祈りした次第です。桝井さんが送って下さったアメリカの教育制度は日本の現状と比較して驚きでした。佐藤さんが学生時代にされた旧理学部界隈のスケッチ4点に、往時の中之島一帯を懐かしく思いました。そして予定時間を超えた貴重な非日常的経験は、アッという間に過ぎ去りました。次年度以降も持続性を最優先とし、手抜きに徹することでクラス会を続けることが改めて確認されました。幸いクラスの現員20名の裡で17名がメイルアドレスを持っているので、大いに情報伝達に活用することなどが確認されました。次年度は卒業60周年の節目に当たる年で、奮って参加して頂きたいものです。以上で次年度幹事の佐藤さん、渡辺さんにバトンタッチ致します。
昨年に引き続き、2011年度も11月11日に中之島センターにて開催しました。参加者は桑田、川岸、岸本、渡辺、菅、斉藤、前川、田川、神田(関西6、名古屋1、関東2)の計9名でした。予定通り12時に田川幹事の挨拶と、一同の健康を祝した神田幹事による乾杯の音頭で会が始められた。食事を進めながら、この1年を振り返って各自の思いを語り合った。桑田さんが不自由な体を押して参加されたのは、誠に感動的である。低い声で聴き取り難かったが、長期間に渉ってクラス会に出席できたことに感謝しているとの気持ちを述べられた。川岸さんはすっかり健康を回復し元気で過ごしている由。こんなに高齢で元気なクラスも珍しいのではないか、と些か自画自賛される有様に一同少々照れ気味?岸本さんは南アフリカを旅行中に東日本大震災が起こり、日本は壊滅して円は無価値になるとのデマで、通貨両替の困難に遭遇した話は珍しかった。永契会会長として大改革を進めてこられた渡辺さんは会長職をやっと退任され、後任の古武弥英氏に引継いで、ホッとされた面持ちでした。菅さんは年齢相応の体調不良を紛らわすため、せっせと旅行する事を心がけているとのことです。戦後直ぐの3年間、金沢での在学期間中に訪れる機会の無かった兼六園へ60年ぶりに行って、素晴らしかった景観の思い出をしみじみと語られた。
難聴に悩む斉藤さんは自家用車の運転免許証を返上したものの、バイクに切り替えたとの話に一同唖然。自宅に果実のなる苗木を栽培し見事成った実を食べる事に夢中で、害虫除去に腐心する毎日とのこと。前川さんは趣味の囲碁に熱中しているせいか、声にも張りがあって全くと言ってよいほど歳を取らない様子で羨ましい限りである。田川からは家庭の都合上、独り住まいをしていて自炊生活をしている旨の報告があり、レシピ本と首っ引きで料理をする毎日だが、却って健康に良いようだ。渡辺、菅の両氏も料理好きとのことで、菅さんからは調理は化学反応の連続との見解が述べられた。最後に神田からは、昨年来の下肢動脈狭窄症の術後リハビリに関する話と、南海・東南海大震災に備えての危機意識の話をされた。海抜が高くない徳島市内は津波に見舞われる危険性があり、自分達が住む高台が避難場所として役立つであろうとの話であった。なお、神田からは原発用のトリウム炉のIT資料が、岸本さんからは南アの新聞とタイム誌が、田川からは欠席者の近況報告のハガキが回覧された。次回も今まで同様の方法で続けるのかについて議論がされたが、東京の学士会館の予約が今まで通りの方法では問題が起こる可能性が大きい。何れにしろ幹事の手間を出来るだけ軽くする方法を考えないと、継続困難なことは間違いない。従来方式での次回クラス会は11月11日、同中之島センターで実施するのを最後とし、岸本、高橋の両幹事で行う事を決定しました。