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2010年度

新制43回化学科同窓会報告

2011年03月05日(土)
秋津 貴城(新制化43回)

昨年(2010年)の春、3月28日(日)午後に、梅田の大阪弥生会館にてクラス会を開催しました。震災直後の1995年春に学部を卒業してから、大規模なクラス会を開催するのは、今回がおそらく初めてのことと記憶しています。10名以上の参加者がありました。クラスの3割弱が集まり、旧交を温めることができたことには、感謝しています。懐かしさのあまり時間を忘れて話もはずみ、子供を持つ女性陣は早く帰宅したりしましたが、最終的には3次会にまでもつれ込んだほどでした。そして、多くの不参加の皆さんからも、近況報告やメッセージを盛り込んだ返事を受けつつ、卒業後にそれぞれの日常の場で、活躍されているということを強く感じました。
開催のきっかけは、私と同じ新宿区内で職場が近い井村君との会話でした。半年以上も前から、住所の確認と同時にクラス会開催方法の希望を募ったのですが、張本人の井村君をはじめ大阪以外にお住まいの方や(なんと馬場君や宮村君のような米国在住の方も!)、せっかく連絡は取れたものの、仕事や家族の都合等で候補日での参加が困難な方も多かったです。そんなわけで、年末の東京・学士会館での「大阪大学卒業生の集い」に倣い、大阪同窓会に先立ち年末に東京忘年会も当初は企画しましたが、土壇場でキャンセルが相次ぎ、実現しませんでした。現職では、朝から秋津研の約20名の学生達と錯体化学の研究をするものの社会人学生等を対象とする夜間講義担当で(パロアルトから帰国して3年、神楽坂の三味線が聞ける店は経験するも、芸者さんなど夢のまた夢)、なおかつ独身(一応、相手募集中)である私には、感覚的にとくに子供のいる家庭への心配りが不足していたかもしれなかった点を、お詫びいたします。
それにしても、化学科のクラスのメンバーが15年の歳月を経て、連絡を取ったり、再び集まったりするのがこんなに困難になるとは、講義や学生実験があり毎日のように顔を合わせていた在学当時には、想像すらしませんでした。永契会クラス幹事として、楽しみながらお世話させていただきましたが、藤本先生から提供された当クラス分の最新版永契会名簿(実は約三分の一が郵便不着状態!)と、卒業アルバムの住所を元にして、当時の実家等にも郵便連絡を試みたものの、沢山戻ってくるのには心が折れそうになりました。同窓会の連絡が届かなかった、このニューズレターを読まれた方や、クラスメートの消息情報をお持ちの方は、秋津までご一報ください。例えば、今回同様に日本化学会年会の関西開催時を狙うなどして、いつかまた開催できればと思っています。

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篠原 厚(新制化26回)

昨年(平成22年)の2月20日(土)に、化学科(昭和49年入学+53年卒業)の同窓会を行いました。私が阪大に戻ってきてから、同期の友人に何かの機会に会うたびに、「同窓会を開いてくれよ・・・」と言われ続け、今までサボっていましたが、今回、学術総合博物館で化学専攻協賛の企画展「漆(Japan)の再発見-日本の近代化学の芽生え-」が開催されるのを機会に、同窓会開催を思い立ち、急遽、日程や内容も私の一方的な都合で呼びかけたものです。少なくても集まれる人だけでも良いから、とにかく一度同窓会を開き、今後につなげようとの思いでした。最後に同窓会を開いてから、実に17年ぶりになります。
名簿の整備も何もない状態でのスタートで、連絡には少し苦労しましたが、ふたを開けてみると、何と26名者参加者があり、望外の成功で、世話をした者として大変うれしく思っています。同窓会は3部構成で、第1部は、1時頃より理学部化学科の現状の紹介と新設のG棟や改修後の本館の見学を行い、第2部として、博物館に移動して、芝哲夫先生の講演「眞島利行の漆の化学研究」の拝聴と博物館・企画展の拝観、第3部が懇親会(於ミュージアムカフェ「坂」)でした。今回の目玉として、芝先生の講演に日時を合わせ拝聴する企画を立てましたが、大好評でした。ただ、おそらくほとんどの方にとって、あの講演が芝先生の最後の講演となってしまったことは残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。
中には卒業以来の再会という人も居ましたが、体型や髪の毛の変化があることを除いては、学生の時の顔がすぐに思い出されました。皆さん変わっていないと言う印象でしたが、積もる話にやはり長い時間の経過も感じる、貴重な楽しい時間が過ごせたと思います。今後は、私を含め近場にいるメンバーを幹事とし、もう少し頻繁に開くことを約束して終演となりました。
なお、「化美の会」とは我々の同窓会の名称で、学生時代から何かの居りに使っていたと思いますが、卒業後か成り立って開いた第一回同窓会で正式に命名したように記憶しています。以下に参加者と集合写真を載せておきます。次回はより多くの方の参加を期待しております。
参加者(順不同):渡辺、岩佐、久保、岡田、木村、大久保、松田、江部、山本茂義、篠置、藤井(飯田)、夏目、吉川、小西、伊堂寺(中山)、溝尾、稲毛(深尾)、谷川(吉岡)、川口、菅野夫妻、有家、吉田(井上)、橋爪、小谷、篠原

当日の写真一覧はこちら
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三木 哲宏(新制高15回)

卒業後、30有余年経った昨春、突如クラスメートと連絡を取り合い、名簿を整備して、同窓会を初めて開催しました。30名に満たないクラスですが、多士済々で、歩み方が多様です。
20年前の永契会名簿を頼りに電話、メールや手紙で接触を始めたのですが、転居していたりで、名簿との乖離が大きく、当初は暗澹たる思いでしたけれども、多くのクラスメートの協力のお陰で、2名を除き連絡先が確認出来ました。次いで、所在が関東、大阪、中国、北陸、九州と分散していますので、大阪と東京とで同窓会をいたしました。
大阪の同窓会では、桜の花見が待ち遠しく、驟雨一過の弥生らしい日和の2010/3/21(日)、30有余年を経ての初めての同窓会を、懐かしい石橋駅近くの居酒屋「保呂酔」で開催しました。
この日の参加者は13名(出席率は50%近い)で、なんと東は東京都内、西は福岡から集まりました。安楽、井上(現姓:坂本)、岩根、織田、川島、西川、藤井、古川、三木、森、山下、吉川、吉村(現姓:田中)の13君です。
午前中に自宅療養中の伊賀君を見舞いに6名が訪れ、梅酒や桜餅で春の季節感を楽しみ、ちらし弁当で会食しました。
午後からは更に2名が合流して、豊中キャンパスを散策し、昔そのままの池やイ号館、図書館本館を懐かしんだり、面影は残っているものの変貌しているロ号館や理学部の増築に驚いたりして、学生時代を懐かしみながら記念写真を撮ったりしました。
この後、午後4時から7時過ぎまで居酒屋「保呂酔」で同窓会をいたしました。この会場は石橋駅東口左手のお店が密集しているエリアの中央辺りに位置する所にあり、私も学生時代に研究室の仲間とよく来て、おでんや山芋の短冊で剣菱をしこたま呷った居酒屋で懐かしい思い出のあるところで、当時の雰囲気がそのままでした。今も学生がよく来るらしく、会場手配を引き受けてくれた岩根君の配慮に感謝です。
30年余りのご無沙汰なので、会話が成り立たないで、お見合いのようにシーンとしてしまうのではないかという幹事の前日までの不安は、冒頭の、まずは再会を祝っての乾杯で、一瞬にして溶融し、あとは、学生時代のコンパと同じ状態です。50代半ばのよいお年の方ばかりなのに、きっと職場では威厳を正して毅然としておられるのだろうな、職場の人が見たらどう思うのかなと想像すると、吹き出しものです。何かベースキャンプに戻ってきて、仲間とほっとしているような雰囲気で、30年余りの時間が抜け落ち、昨日まで同じ授業を聞いていたクラスメートと今日はコンパをしているような錯覚に浸ってしまいました。「今なにしてんねん」の発表もあり、学生時代のいろんなエピソードも紹介され、「へー、そうやったんや」とか、思い出の品々、たとえば、卒業写真集・文集、解析学・有機化学・高分子化学の教科書の回覧、クラスメートの書き込みのある学生手帳の開示、聴講カードなどで、学生時代にタイムマシンです。
あっという間に時間が経ち、中締めとお開きが一緒になってしまいました。安楽君の締めにて、又の再会を期しました。
次いで、池田駅近くで2次会になりました。なんと9名参加。2時間位いたようです(酔っ払って記憶が薄い)。学生時代のエピソードや子供の教育、就職、結婚への気掛かり、定年後の過ごし方、担任の先生に会いたい、来年の同窓会の日程は、と多様な会話が弾みました。
大阪まで来れなかったクラスメートの為に、理学部前の植え込みが懐かしいツツジの咲く爽やかな季節の2010/5/2(日)東京上野の「東天紅」で同窓会の東京分科会を開催いたしました。不忍池や建設途上のスカイツリーを窓から見ながら、開始時刻10分前になっても誰も姿を現さないので、本当に皆来るのかなあ、という不安が募ってきていた矢先に、突然「やあ」との声で会場に入室してきたクラスメートに、誰なのか分からず「どこのおっさんや」と驚いて呆然としていると、数秒の静寂の後、「藤原です」の声で、ようやく記憶している藤原君の面影と照合することが出来、その後は「やあやあやあ」です。次に入ってくる人、次次と同じ繰り返し。(最初に入ってきた人が藤原君であったか、瀬戸口君であったか、記憶が薄れているので間違っていたらすみません)。結局、茨城から静岡までに亘って在住する、大山、川島、瀬戸口、鈴木(英明)、西、西川(康郎)、藤原、森、八瀬、三木の10君が集まりました。大阪での同窓会と両方に出席した人もいます。出席率は40%。両方の同窓会で70%近くのクラスメートが再会を果たしました。同窓会の状況は大阪でのと全く同じで、挨拶や名刺交換無しの乾杯で始まる学生コンパの雰囲気で、途中からやっぱり「今なにしてんねん」の紹介になり、こちらでは更に学問的な突っ込みがあったりで、さすが理学部魂いつまでも、でした。あっという間に時間が経ち、八瀬君の締めにて、又の再会を期しました。
やはり別れがたく上野駅への帰途途上の居酒屋で2次会を2時間程、狭いところで顔を寄せ合って、学生同士のようにしゃべくり、飲みまくって、漸くお開きに。
共に楽しい同窓会でした。再会出来て良かったと思いました。若い一時期に、人生の御縁で、共に机を並べて学んだクラスメートとの思い出の共有は、人生の大事な財産なのだなあ、と気付く時期になったんだと思います。
また、各君からの要望もあり、われらのHPを6月に立ち上げ、同窓会での写真や思い出の写真、コメントなどを収載して情報を共有するようにいたしました。これは毎月更新しています。
また会おうという声も多く、同窓会が、クラスメートの今、を生きていく為の安らぎ、そして活力に役立てればと思います。
次回の再会と、若くして夭折した角田君の御冥福と、われらのアイデンティティである母校の御活躍を祈りつつ。
(2011/01/24クラス幹事:三木記)


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世話人一同(新制高12回)

平成22年8月28日に第7回のクラス会を開催しましたので報告したいと思います。
それに先立ち、まずこれまでのクラス会について概要を紹介します。(2回目までは以前にも本誌No.15で報告済みです。)
第1回:平成9年3月(大阪梅田「青冥」参加者10名)
第2回:平成13年5月(大阪中ノ島「リーガグランドホテル竹葉亭」参加者9名)
第3回:平成16年5月(石橋~阪大散策 参加者13名、千里中央「桂琴」参加者17名)
第4回:平成19年8月(大阪梅田「ロドス」参加者17名)
第5回:平成20年8月(大阪梅田「ニューミュンヘン本店」 参加者15名)
第6回:平成21年8月(大阪梅田「パパミラノ阪急グランド店」 参加者15名)
当クラス会は1970年4月に大阪大学理学部高分子学科に入学したものを主なメンバーとし、第1回目を卒業後20数年の時期に開催しました。その後、当初は3、4年ごとに開いていましたが参加者も増え、3年前からは皆さんのもっと頻繁に会いたいという熱い希望により毎年開催することになりました。
さて、平成22年の第7回ですが、8月28日午後4時半より大阪・梅田の海鮮居酒屋・芦刈で開催しました。世話人も5人に増員になりましたが、参加者も18人(会員全員で26人)とこれまでの最多を記録し、各地から猛暑をものともせず参集頂きました。
和やかな飲食・歓談とともに順次各自の近況報告を行いました。本年は参加者の何人かが還暦を迎える(あるいは迎えた)年であり、翌年にはほとんどのメンバーが還暦を過ぎるという状況で、皆さん人生の節目に差し掛かりつつあります。これを機にリタイヤする人、まだまだ仕事を続ける人、どうするか迷っている人、それぞれ近況や今後の抱負や夢などを語ると共にいろいろとこの辺りの情報交換も盛んでした。
一次会が終わり当日中に遠方へ帰る人や所用のある人を除いて最近恒例となっている二次会のカラオケに突入しました。大学時代はカラオケなどなかった時代(?)ですが、その後の長年の社会生活により皆さんカラオケもなかなか上手になっています。もっと歌いたい、次は何を歌おうか、などと言っているうちにあっという間に時間が過ぎていきました。
次回も1年後に開催予定ですが、阪大・石橋キャンパスツアーをもう一度やろう、一泊の泊り込みでやってみたい、近いうちに海外へみんなで出かけてそこでクラス会を開こう、など希望や夢もいっぱいです。このクラス会も大変楽しみな年中行事であることは間違いなく、第二の人生にさしかかりつつある我々にとってますます大切なものになってきていると実感しました。
平成23年夏頃にも必ず開催しますので、どうぞみなさんご参加ください。世話人一同。

写真上は参加者全員(岩井,打土井,梶本,金光谷,木村,近藤,佐伯,猿田,高瀬,土佐,内藤,永田(公),永田(よ),畑,服部,藤沢(和),兵田,本岡。下線は世話人)で一次会終了後に写したものです。写真下は第5回クラス会の乾杯シーンです。



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山下和義(新制化19回)

化学科昭和42年入学者同窓会「杉富会」が、平成22年11月20日(土)午後5時から7時半まで、梅田の阪急東通り商店街の「橙家」で開かれた。
前回(平成21年)の杉富会は初めて東京で開かれ、関西からの出席者は前々回の幹事の守安正恭君と山下の2名であった為、次回の幹事に小生が指名され、副幹事は私から由利秀樹君に電子メールでお願いした。
今回は、名古屋以東からの出席者は無かったが、福岡(唐崎裕治君)や島根(石飛裕君)の遠方からの出席者を含め14名が集まった。
この同窓会も今回で7回目になるが、久しぶりに会う方も多く、会話が弾み、又、出席者各位からの近況報告もあり2時間半があっという間に過ぎ、非常に盛り上がった楽しい会になった。
出席者からの提案もあり、この会を毎年開く事、関東に住んでいる者も多い為3回に1回は東京で開催する事になった。
次回の幹事、副幹事には辻喜良君、任田康夫君が指名され、辻君からは杉富会の名前のもとになった2人の才女に参加して貰う為、次回は彼女らの都合を最優先にして日程を決めるという決意がありお開きになった。
 
<写真>左から
(前列)由利秀樹、豊田敏宏、石飛 裕、高橋里美、山下和義、任田康夫
(後列)辻喜 良、松影憲三、稲葉 章、沼波憲一、守安正恭、工藤富雄、唐崎裕治、入江好夫


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新制10回同窓会

2011年03月05日(土)
清水 晃(新制化10回)

もう昨年(2010年)の話になりますが、梅雨のさなか天候を心配しながら6月13日(日)から1泊2日の同窓会が山梨県の須玉温泉でおこなわれました。新制化10回生は昭和37年に卒業した化学科30名(うち物故者1名)のクラスメートですが、ここしばらくは集まることに熱心で、大阪は当然のことながら、滋賀、福井、長野、千葉、沖縄、上海など各地を転々としながらの同窓会が続いています。今回は関東地区在住のメンバーが幹事となり、山梨県須玉温泉での開催となりました。
同温泉は、東京から中央高速で約2時間、甲府盆地を過ぎてしばらくの南アルプスと八ヶ岳にはさまれた山あいの静かな一軒宿で、天気がよければ富士山を裏から眺められるロケーションにあります。当日午後、関西、関東方面から19名(男性16名、女性3名)が集まり、温泉を楽しんだあと、会食となり元気に再開できたことを喜びつつお互いの近況を語り旧交を暖めました。10回生は昨年で全員が古希を超えたことになりますが、さすがに健康に関する話題が増えてきたのはやむを得ないことではありましょうが、一方で何人かは仕事のために参加できない、あるいは参加したものの翌朝早々に帰途につくなど、まだ社会と何らかの関わりを持っている、体力的にはともかく精神的にはまだまだ壮年に近い年代であります。
 

翌朝は宿のバスに乗って県立フラワーセンターで満開のバラを愛で、南アルプス市の農園で特産のサクランボを腹いっぱいに詰め込み、また土産に買い込んでから、今年(2011年)和歌山(白浜)での再会を約して正午に解散となり、待ちかねたように降りだした雨の中、三々五々帰途につきました。

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新制7回卒業生同期会

2011年03月05日(土)
蒲池 幹治(新制化7回)

今回も前回と同様に、幹事の山本正夫君のお世話で、大阪大学中之島センターにて、11月12日(金)12時半から昼食をしながら、同期会を致しました。今回は化学科の卒業生だけでしたので15名で、前回よりも参加者は減りましたが、前回は来れなかった人も参加し、久し振りの対面あるいは1年振りの対面に、半世紀前の話から最近の話題まで四方山話に花が咲き、歳を忘れた一時となりました。また、二人の日本人ノーベル賞受賞が報道された後であり、ノーベル賞談議でも化学科の同窓会らしい雰囲気になっていました。特に、東洋レーヨン時代にパラジウム触媒をいち早く手掛け、この研究に先鞭をつけた木地実夫君(鳥取大学名誉教授)の思い出話はリアルで、研究や会社の運営に携わっていたそれぞれの過去が甦る一時でした。
3時過ぎ、来年、横浜での再会を約束して、散会しました。

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2010年“ばげだす”の例会

2011年03月05日(土)
岩本 晢(新制化6回) 

本年の表題の会は川上、西尾、岩本三人が計画することになり、東京で5月20~21日に開催いたしました。20日ははとバスで観光することにし、まず皇居前では二重橋、楠正成の銅像も見ました。その後外国人観光客が多い「浅草の仲見世」、東京タワーに行きました。視界は良くなかったが、遠方に建築中の東京スカイツリーが見えました。みんなで東京を上から見物できました。
ホテルで夕飯になり、先日事故死した井畑君の回想、葬儀の模様の報告があり、適当に食事して、飲んで、会話して、宴会は終わりました。
翌日は「戦争遺跡を歩く会」の長谷川順一氏の案内で靖国神社を見学しました。大鳥居、さざれ石、大村益次郎の銅像、第二の鳥居、神門、祭儀所、拝殿、更に鳩、馬、犬の慰霊碑も見学しましたが、今次大戦にこんな動物を使用した国があるのでしょうか。偕行文庫、パール判事の顕彰碑も見学したが、極東国際軍事裁判の認識が種々あることも知りました。靖国の祭神になるための招魂斉殿も知り、最後に遊就館に入りましたが、回天、桜花等の兵器には慄然とさせられました。僅か65年前にこんな兵器で戦争をしていたのです。多くの兵器、飛行機、戦車等を見ましたが、虚しく、無謀な戦争で亡くなった多くの方には哀悼の言葉もありません。思い出すだけでも悲しい。
昼食後に近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑に行きました。我々の到着の頃に海上自衛隊の将兵200人と楽隊100人が来場し、式典を始め、奏楽もあり、開式と閉式には全員黙祷し、司令官が献花しました。女性の兵士もいました。
この事務所で入手した資料には今次大戦で亡くなった日本軍将兵の地域別戦没者数が240万とあり、国内の戦死者は出てないが、台湾、沖縄、朝鮮、樺太、硫黄島の戦没者は出ており、中国では72万(中国約47万、旧満州約25万)、フィリピンでは52万です。
政府は無宗教の戦没者墓苑で外国からの賓客に献花をしてもらいたいが、これが一向に進みません。靖国派はそんな記念碑には猛反対をするでしょうが、いつになったら日本は靖国問題を解決するのでしょうか。来年の再会を約束して分かれました。


後列:吉川、諸石、吉川、石橋
中列:野崎、戸井、森永、米村、西村、高橋
前列:西尾、川上、岩本、石井、竹内

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新制5回同窓会

2011年03月05日(土)
畑田 耕一(新制化5回)

大部分の同窓生が本年喜寿を迎えるのを機に、7月11日千里阪急ホテル・プールサイドのサンシャインテラスで、3年ぶりの再会を楽しんだ。生憎の雨ではあったが、16人が集まり、中村君のピアノの名演奏と昼食を味わいつつ、過去・現在・未来の話に花が咲いた。今も研究の最前線で、ESRの医学への応用やがんの抑制機能を持つ遺伝子の研究に打ち込むもの、学園理事、会社のコンサルタント、雑誌の編集、出前授業、文化財の活用保存などの仕事に取り組むもの、図書館に行くたびに新刊書の購入を推薦するものなど、元気に社会に奉仕している様が伺えて嬉しかった。趣味もオペラ、コーラス、ダンス、スポーツ、エアロビクス、山登り、旅行、碁、篆刻、水墨画、手鞠作り、麻雀など多種多様である。医者の分からなかった肩の痛みを関節リューマチによるものと解明した話には、さすがは理学部卒業生と感心した。皆、体を大事にしようということで、再会を約した。

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前田 章夫(新制化4回)

化学科出身の第4回生は、その多くが公式な仕事から引退した後にも毎年のクラス会としての集まりを楽しんでいます。在住者の多い関西の地に住む薗頭、畑田、前田に世話役が振られた昨年2010年度の会は、5月18日に新緑が映える京都の蹴上で、先ず明治初期の京都の歴史を刻んだ琵琶湖疏水記念館で、今の京都の礎となった疏水の建設にあたった田邊朔郎博士をはじめとした人たちの苦労、業績などの説明を受け、館内を見学しました。そのあと、疏水の水をとりいれ東山を借景とした山縣有朋の無鄰菴で庭園をみて抹茶をたしなみ、疏水を導く水路閣のある南禅寺を訪ね、足に自信のある人たちはその三門から石川五右衛門のみた絶景を味わってきました。晩は、鴨川のほとり「KKRくに荘」で懐石を楽しみながら、それぞれのこの一年の活躍を披露しました。その際の出席者は全体の半数の写真にある17名で、ここ数年ほぼこの人数あたりで推移してきています。ただ、依然として仕事が忙しくて欠席される方もおられます。喜寿を超えたか超えようとしている人たちですが、まだまだ外に内に活躍の場を作っているようです。現役の時代にすぐれた成果をあげてきた人が多い世代ですが、昨年秋のノーベル化学賞のときに必ず引き合いにだされた薗頭カップリングの薗頭さんも我々の一員であることは、うれしく誇らしいことです。翌日は小雨模様のなか、京阪、近鉄をのりついで京阪奈丘陵へ、福寿園CHA研究所でお茶にまつわる諸事百科の説明をうけました。茶菓をたしなみながら、食品や化学の専門家から多くの質問がでて、研究員の人から丁寧な応答をうけました。午後は、関西光科学研究所を訪れ、畑田さんのかつての僚友である河西所長をはじめとした館員の方たちから、レーザを中心に光にまつわる最先端の研究成果の披露を受け、そのあととなりあった「きっづ(木津)光科学館フォトン」に移って光を利用した展示を楽しみました。この分野には現役のときから親しんできたひとも多く、楽しいひとときだったと思います。本年は、東に舞台を移し、関東在住の小林、辻、戸川、中川の4氏が企画してくれることになっています。元気な顔で集まれることを期待しています。
 

くに荘での宴席の前での集合写真。
後列左より、中川、崎山、杉岡、澤田、田井、中塚、小林、辻、田端、高木、前列左より、前田、戸川、奥戸、浅野、森田、今井、畑田の諸氏。

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