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2003年度

旧制化学科3回生近況報告

2010年02月24日(水)

関 集三(旧制3回)


 私共は卒業時には19名でしたが、現在は吉田純一さんと小生の僅か2名となりました。吉田さんとは前回は音信不通でしたが、今回は幸い御子息の奥様と電話連絡がとれ、吉田さんは先年入院中でしたがその後退院、現在は通院中で、年令相応の健康を保持されていることが明らかになりました。本年卆寿を迎えた老生より2才年上で91才の長寿を保っておられることが判り安心いたしました。
その様な次第勝手ながら老生の近況のみ報告いたします。卒業後66年目、一応体調維持につとめ、毎月1回上京の日本学士院例会出席も19年目、山田財団役員会出席も(最近は隔月位)26年目となりました。
 本年1月5日の阪大理・化学科の新年懇親会に出席(名誉教授14名、現役教授20名)し、学科の近況を教室主任の笠井教授よりいただきました。その後、本年度から発足する国立大学独立法人化について現理学部長の楠本教授より、又、昨年発足した「21世紀COEプログラム:自然共生化学の創世」*について責任者の原田教授から、それぞれ、くわしい現状報告をいただきました。
私事にわたり恐縮ですが、老生の阪大時代の研究室時代に学位をとりその後化学科の名誉教授になられた方々は、本年退官された徂徠教授と松尾教授をふくめ6名となられ、感慨ひとしおです。
又、私共が創設に中心的役割をした「日本熱測定学会」は昨年度、第30回記念の学会記念行事をいただき、一方、この学会創立の基盤となった「熱測定討論会」は本年、第40回を迎え(第1回は阪大開催)慶賀の至りと喜んでおります。皆様のお陰で化学教室にみとめられた研究センター「分子熱力学センター」も25年目を迎え改めて御礼申し上げます。
*永契会Newsletters, No, 16(2003)に概要が説明されている。

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クラス会員の動向

2010年02月24日(水)

河本於兎彦(旧制5回)


 一応、名簿順に年賀状を頼りに報告します。 大塚英夫君は昨年6月に逝去、松村栄三郎君は既にご報告通り一昨年逝去されています。
他の生存者、於勢君、木村君、鈴木君、荻原君、米本君は一応元気。幹事役の河本は介護保険の世話になりながら元気です。

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旧制11回生報告

2010年02月24日(水)

幹事 松井邦夫(旧制11回)


 10月14-16日にかけて定例の旅行。参加者中田弘君、永田君、松井邦夫の3名。他に予定していた今永勇二郎君、山崎太郎君は体調不調のため残念ながら中止。11時金沢駅集合、昼食、石川近代文学館、金沢城の見学。夜、永田君が合流、料亭「壽屋」でタ食。金沢セントラルホテルで宿泊。翌朝田中君は仕事のため帰阪。観光タクシーで内灘公園、宇ノ気町西田記念哲学館、千里浜を経て巌門で昼食、永田君はスケッチ、妙成寺を経て金沢布立安江金箔工芸館を見学。翌日成巽閣、石川県立美衛館を見学、永田君に絵画の見方を聞く。昼食後大樋美術館、加賀友禅伝統産業会館の見学。ここで松井は帰阪。永田君は続けて九谷焼、輪島塗りの店を見学し、更に一泊して帰京。自由なクラス旅行であった。我々の級友の平均年齢は80歳。多くは何らかの病気をもっており、集まっての旅行もままならぬ年齢に達した。再来年が卒業60年であるが、記念のクラス会は早い目に行うのがよいかも知れない。

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永契17回クラス会のこと

2010年02月24日(水)

西海四郎(旧制17回)


 2003年6月16日の夕方、JR大津駅に集合、大津市ニホの浜にあるホテル・ピア・プラザに行く。集まったメンバーは次のとおり、敬称略:浅井・有元・安藤・井上・大須賀・寒河・笹田・田島・中村・西海・八田・林・村松。当番は、浅井と西海。ここでの夕食は正式に頂く、このことはホテルの規則どおり。
その後、入浴してから談話室に集まる。少人数だから都合がよい。テーブルをかこんで談話となる。何となく習慣になってしまったが、一人が話題提供の形で話をする。今回は浅井が’三分法について’という題で話した。その内容は例えば滑らかさの表現で視覚的・視覚的で触覚的・触覚的と三通りある、また同じ’開け’という動詞の後に’ると、れば、たら’という助詞をつけると確定的・不確定的・意外性というような話。中学時代の国語文法を思い出す。
それから後はそれぞれが勝手に話し出して、まあ賑やかなこと。このホテルは持ち込み自由なので、幹事は予め持ち込んでおいたが、これは正解であった。
翌朝は小雨、用意した複数の観光コースは回れない。雨の上がるのを待ちきれずに半数は帰っていった。やがて雨が上がったので数人は日吉神社へ。これは正解で、空気は潤い、敷石は洗われて美しい、松の緑も鮮やか、歩くのは私たちだけという好条件。ゆっくり歩いて爽やかさを存分に味わった。
この会は毎年、関東・関西のどちらかで開いている。参加者は皆、日本人の平均寿命を超えた。それにしては元気である。恩師、村橋先生はある新年会で、健康法として血行をよくすることを挙げられた。皆さん試みられたら如何?

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旧制18回生クラス会

2010年02月24日(水)

花房昭靜(旧制18回)


 私達は、1952年春の卒業であり、一昨年はその50周年に当り、大阪で記念の会を催し、12名が集って祝いました。その時翌年は広島で集まろうということになり、私が世話役を仰せつかりました。そこで昨年は、安芸の宮島で錦繍を賞でようと、11月10日にその対岸の安芸グランドホテルに宿泊し、11日に厳島神社などを観光することにしました。参加予定はもっと多かったのですが、体調の不良や所用のため来れなくなった人があり、参加は7名となりました。(写真、左から、前列、大塚、近松、清川、後列、筆者、栗岡、濱田、早野の諸氏)
それぞれに広島市内の見学をし、また、旧海軍の学校に在学していた方々は、江田島の旧兵学校や徳山の特攻魚雷「回天」記念館などを訪れた後、ホテルに夕刻集合しました。夕食会では、一室を借り切って、酒どころ広島の各種銘酒を嗜みながら、学生時代を懐しみ、現役生活を回想し、世相を批評して将来を展望するなど、談論風発し誠に楽しい宴席でした。部屋に戻っても盤上で黒白を競うなど、深夜まで賑やかに過ごしました。
翌朝、JR連絡船に乗り朱塗りの有名な大鳥居(明治8年建立、高さ16m)の前を通って宮島に渡りました。そこは、昔日本三景の一つに挙げられ、今世界文化遺産に登録されている史跡名勝の地です。島では、観光協会の美人ガイドの久保河内さんの出迎えを受け、その説明を聞きながら1時間余り散策しました。説明の一部は次のようなものです。この島は、神を斉く(いつく、身を清めて神を祭る)島であるということから、伊都岐島とか厳島と呼ばれていて、宮島になったのは比較的新しい。島そのものがご神体でもあって、墓はつくれない。厳島神社の杜殿や塔など20棟のうち6棟が国宝である。祭神は女性の3柱であって、回廊に沿った客殿に男性の神5柱が祭られている。本殿と大鳥居の距離は、108間(ケン)であり、各所に佛教思想がとり入れられている。本殿前の高舞台で舞楽が演じられるが、四天王寺の舞楽と関連が深い。その舞台の左右の狛犬には雌雄の別があからさまに示されている。数年前から春秋の大潮の満潮時には床上まで潮が上り、回廊の床板が浮き上る。などなど。
ガイドさんと別れた後、弥山の山麓を大聖院から紅葉谷へと進みましたが、残念なことに、前月に寒い日があり楓の葉の多くが紅葉する前に枯れ落ちて、もみじ狩りと洒落ることはできませんでした。五重塔、千疊閣、古い町の中、土産物商店街などを見学し、「かき丼」の書食をすませて、JR宮島口へ戻り、思い出を胸に各自家路につき、解散しました。
私たちクラスの会員には、今でも何人かは専門分野での研究所を開設していたり、専門の著作活動を盛に行っています。そのほか、大原君は以前に紫綬褒章と立派な勲章をうけておられますが、昨年には岡田君が学士院賞を受けられました。誠におめでたいことであります。なお、クラス会は本年度大阪で開く予定になっています。

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半世紀を越えて、私たちは

2010年02月24日(水)

福井俊郎(新制1回)


 教育改革の荒波のなかで育った私たちが、卒業して丁度50年経ちました。これまでには毎年1回クラス会を開いてきましたが、去る5月6日に新阪急ホテルで、数学科・物理学科・生物学科と一緒になって「卒業50周年記念合同クラス会」を開きました。卒業 してはじめてのことでしたが、化学科だけで27名、全部で55名参加という盛会でした。 胸の名札を見てから「あ一君か」という始末でしたが、直ぐに懐かしい想いに浸ることができました。
 翌日からは、化学科卒業の19名で木曽路旅行に出かけました。 馬込の旅籠で一泊して、翌日は生憎の雨。「木曽路には雨がよく似合う」などと言いながら、中山道を妻寵まで 1時間ほど歩きました。さらに、記念クラス会誌「半世紀を越えて」をつくって、お世話になった先生方や関係者にも配布しました。
 私たちのクラスで、これまでに亡くなったのは6名ですが、名簿を整理してみますと、学科によって物故者の割合が大きく違うことに気がつきました。数学科38%、物理学科24%、化学科11%、生物学科7%でした。何か理由があるのでしょうか。同じようなことは他の学年でもみられるのでしょうか。お分かりでしたらお知らせください。

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今井滋郎 (新制4回金子研)


 前年の富士山麓周遊につづいて6回目の一泊旅行は、10月23、24日に伊勢志摩に出掛けた。  関東、九州からも3名参加の総勢15名は、まず志摩の賢島に午後集合し「エスパーニャクルーズ」のエスペランサ号で英虞湾を一周した。ついで合歓の郷の保養地のサントリー・サンロッジにチェックインし、夕方の「合歓の郷」園内を散策したり、パターゴルフに興じたりし、展望の効いた「潮騒の湯」で体をほぐしたあとサンロッジで宴会。  活け造りの舟には、10月解禁の伊勢えびやアワビなど志摩ならではの美味が満載。酒量はほどほど、TVの巨神戦延長でなかなか床に就けない。
 翌朝は、超水族館を標榜する鳥羽水族館から始まる。目玉のジュゴンの大水槽やイルカショウを楽しんだ後、インターネットで選んで予約しておいた店では鳥羽湾で獲れたての魚に舌鼓。舌もお腹も満足したグループは、次に伊勢志摩スカイラインを通って内宮へ。バスは日に2本の定期便ながら他に客のいない専有状態で、ツアーの最終地に向かった。  お伊勢さんでは70路の年並みに殊勝らしく拍手を打ち、大杉木立の中にしばし身を置いたあと外宮に廻り、2日間とも快晴に恵まれたツアーは宇治山田で解散となった。
今回のツアーの特徴の一つは、大阪、名古屋からの近鉄特急、域内電車・バス、施設の入場、乗船すべてフリーパスの9,300円のパスポート“まわりゃんせ”を各人で買って参加してもらい、マイクロバスを使わず費用が大幅に節約できたこと。二つ目は、3人の世話人が始めに2回集まっただけで、あとは当日までの4カ月間に百通を超えるE-メールで相談し、時刻表、地図、店の検索も全部パソコンの世話になり、下見もなしのインターネット企画であったことである。6割の人がアドレスを持ち、アンケートから案内までの郵送費もセーブされ、70才を超えた集団ながら時代を反映したツアーとなった。

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高橋政司(新制化6回)


 2003年10月13~14日、大阪の河内長野で第17回目の同期会を催行しました。このところ、関東と関西とが交互に世話役を引き受け、年1回開催という方式が、ほぼ定着しています。今回は、関西の竹内さんが主担当幹事となって、計画を立案され推進されたもので、河内長野駅近くの「エルサンティ河内長野」を宿拍場所とし、関西在住の方々にご協力いただき、参加者は5台の車に分乗して近隣を観光いたしました。参加したのは、鬼籍に入られた方を除く同期生33名中の21名で、咋年の鎌倉での開催時と同じ人数でした。
 13日、2時に「エルサンティ河内長野」に集合し、まず天野山金剛寺を参観。ここは女人高野、あるいは南北朝時代に南北両朝が同じ時同じ場所に行在所をおいたことで知られているお寺です。境内の摩尼院では楠木正成の軍旗や正行が切腹しようとした櫻井の駅の「子別れの短刀」を見ることができました。次に河内長野の水源である滝畑ダムを見学し、磨崖佛を見るためダムの堰堤へ向かおうとしたところ、残念ながら4時が門限で入れませんでした。
 温泉に浸って疲れを癒した後、タ方からは例によって例のごとく、近況報告や懐古談など宴会の時間帯だけでは到底収まりきらず、寝室に席を移し時の経つのも忘れて歓談いたしました。
 翌14日、車を連ねて檎尾山観心寺、楠妣庵、楠公生誕地、建水分神社、寄手塚・身方塚を回りました。観心寺は楠木一族に関係するお寺で正成の首塚があり、楠妣庵は正成夫人の余生を送った場所、建水分神社は楠木家の守護神社、寄手塚・身方塚は正成が建てた敵と味方の戦死者の墓、というわけで、楠木正成ゆかりの場所巡りです。その終わりに、あいにくと天気がくずれだした雨の中、西行法師が没した弘川寺を訪れ、辞世の句「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の歌碑や西行塚を眺め、その没年73歳に我々もかなり近づいてきたことに無常を感じさせられました。
 昼食後、来年の再会を約し解散しました。例年出席していた2~3の会員の不参加の理由として、体調不調のためとの近況を伺いましたが、体調を回復されて、次回は是非元気に参加されることを期待しています。
 なお、“ばけだす”という我々同期生が原稿を持ち寄って作っている文集は、本年3月第5号を発行しました。年々ページ数が増しており、寄稿者各人の文才に鷲かされている次第です。来春第6号の刊行も確実と思われます。

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新制7回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

蒲池幹治(新制7回)


 昭和34年化学科卒業生のクラス会は二年毎におこなっているが、今回は、11月13-14日、下西康嗣(長浜バイオ大学学長)と山本正夫(東大阪大学学長)が世話人となり、鈴鹿山麓にある湯の山温泉にて開催した。出席者は東は東京、西は福岡から15名が参加した。出席率は37.5%で、参加数は例年に比べて若干少なかったが、ウィークデイの開催であったので、現職で働いている人やボランチア活動中の人の参加がなかった事が一因と考えられる。
 同窓会は6時から始った。学生時代の想い出から今後の生き方まで、話は尽きず、2時間が瞬く間に過ぎ去った感じであった。再会した当初は、お互いの変化を意識するが、十分もすると、中之島時代の姿が甦り、回顧談義に花が咲き、旧交を暖める良い機会になっていた。二年毎に開くタイムカプセルである。翌日は、午前中、鈴鹿国定公園の御在所岳にケーブルで登り秋の紅葉(?)や眺望を楽しんだ後、午後は、同級生の加藤郁之進君が社長をしているタカラバイオ株式会社・ドラゴンジェノミックス遺伝子解析センターを見学し、バイオサイエンスの発展に深い感動を憶えながら、次回は福井で行う事を約束して帰路についた。

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新制化30回生同窓会報告

2010年02月24日(水)

大山 浩(新制化30回)


 新制化30回のクラス会は、7月26-27日、田中君のお世話で、和歌山県湯浅の花王研修センターにて開催した(3年越しの約束にしたがって)。出席は(足達、上の薗、大浦、大山、島本、柴田、谷、中地、竹本(西川)、濱田、深瀬、水元、翠、乗岡(薮本)、横山、若林、田中)の17名。各自の都合にあわせて現地集合。湯浅駅を降りると、5~6名と鉢合わせ。タクシー相乗りで現地へ。長らく同窓会をさぼっていた私には、中には20年ぶりに見る人も。見間違える程ずいぶんと額の広くなった人(T君)も中にはいましたが、皆見覚えのある懐かしい顔です。夕食までの時間希望者はテニスを行いました。皆さん真面目にテニスクラブで腕を磨いておられる様子でレベルの高さに非常に驚きました。日頃の鍛錬の差が歴然と表れる微妙な年令でしょうか。夕方、大広間にて夕食・宴会。途中、ラウンジより美しい夕日を眺めました。夕食後はラウンジで2次会・さらに談話室で3次会を行い、深夜まで、近況報告・仕事の話・想い出話等と話題に花を咲かせました。何らかの形で皆さんが化学とかかわっていることが分かり、とてもうれしく思われました。中には、さらにマージャンで3時過ぎまで起きていた人もいました。
 翌朝早く、谷君、翠君、水元君、田中君のゴルフ4人組は、仕事のある柴田君を、湯浅駅に送り届けた後、一路、海南高原カントリークラブへ。(谷君のぶっちぎりの優勝(スコアは90台)で他の3人は似たり寄ったりの3桁スコアでした。)他の人は(寝坊したF君を残して)、朝食後、2台の車に分乗して湯浅駅へ。途中、道に迷って農道を快調に進み、迷路に突入。おかげで島本君の車が小破。でも楽しい想い出となりました。
 湯浅駅に着いた後、一部の人は醤油蔵の見学。その後、各自帰路に着いた。
 次回は3年後に足達君のお世話で関東で行われる予定です。今年参加できなかった人は次回はぜひ参加して下さい。末永く本会が続くことを願ってやみません。
 最後に、同期の櫛田隆弘君が11/16(日)に急逝されました。まじめに化学とかかわってきた櫛田君の輝かしい軌跡を思うと、とても残念でなりません。あらためてご冥福をお祈りいたします。

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