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2002年度

福井俊郎(新制1回)


 私たち新制1回生は1953年卒業ですから、クラス会は五三会と呼んでいます。名付け親は槌田龍太郎先生。年に1回集まっていますが、昨年は6月1日(土)に六甲山上にある上田六甲山荘で会を開きました。もう皆さん70歳を過ぎていて、仕事の第一線から退いていますが、東京、博多など遠くからの6人を含む21名が集まりました。下の写真:前列の左から、栗田、出垣、境谷、宗像、関口、中島、短田、矢野。後列の左から、福井、河波、菅江、高科、吉田良之助、北村、覚道、森健夫、林、川戸(山田)、尾山(西村)、清井(沼島)、稲畑の諸氏です。20名の欠席者から寄せられた近況は、プリントで出席者に配られました。毎年よく参加して大声で話していた大山忠雄君が、食道ガンで入院生活4ヶ月のあと、平成13年12月19日に永眠したのが残念でした。
 賑やかな夕食のあと7人が下山して、残った14人は部屋へ引き上げ、夜遅くまでよく飲み、よく話しました。翌朝も快晴でしたので、森を抜けてオルゴール・ミュージアムまで30分ほどの道を歩きました。ミュージアムと高山植物園を見学のあと、女性3名は六甲山に残り、男性8人は2台の車に分乗して、立杭焼「陶の郷」までドライブ。うまいウドンで昼食のあと、名品と登り窯の見学に時間をかけて、4時頃に宝塚で解散しました。今年は卒業50周年に当たります。物理・数学・生物学科の同期卒業生と一緒に記念の合同クラス会を開催して、その後に国内旅行をすることにしています。その模様は、次号で報告することができるでしょう。
 

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戸川晴雄、小林 実(新制化4回)


 新制4回生クラス会は、近年は毎年開くことにして98年箱根、99年赤穂、00年福井、01年長浜と続いてきました。02年は4年ぶりに関東地区での開催となり、11月10~11日快晴に恵まれた修善寺&富士にて16名出席で行いました。
 修善寺は伊豆箱根鉄道三島駅発着13~17時、修善寺温泉着発14~16時でカバーした長閑な旅、源氏興亡哀史の舞台となり母北条政子建立で源頼家を祀った指月殿ほか徒歩30分圏内にある小さな町、一軒しかない喫茶店を満員貸切りにして和菓子でお茶としました。
 故田中章孔、梅田勝、正井満夫三氏に黙祷を捧げた後会食、再会を喜び懇談、近況抱負が語られ暫し充電の秋の一日としました。会食懇談宿泊した富士教育研修所(www.fujiken.gr.jp)は環境設備食事内容コストとも優れ、クラス会には適した施設でした。
 翌日は富士山五合目と富士五湖をチャーターバスにて周回、富士山五合目は風があって体感温度ca.-5℃、河口湖で暖かいほうとうの昼食、青木ヶ原樹海遊歩道は玄武岩ごろ石をフラットにして歩きやすい、富士の湧水白糸の滝を経て、新富士駅に16時帰着解散となりました。限られた日程案の中都合がつかなかった方々には申し訳なし、次回は近畿地区で開催、ご健勝にてまたお会いしましょう、楽しみにしています。

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新制6回生:バケダス例会

2010年02月24日(水)

永井 宏(新制化6回)


 台風21号が足早に東日本を駆け抜けた翌2002年10月2日、第16回バケダス同窓会を鎌倉で開催した。33名中21名が参加。
 北鎌倉駅前に午後2時集合。東慶寺、円覚寺、明月院を観光後宿舎にて一夕歓談、旧交を温める。恒例に従って各人より近況報告あり。大半がサンデー毎日の日々でゴルフ、海外旅行、国内旅行、囲碁、観劇、登山、畑仕事等などそれぞれの趣味、好みに応じて第二の人生を謳歌している状況が手に取るように判る話であったが、まだ現役に足を残し、過ぎ去りし日々に身を付けた知識を大いに活用して世に役立たせようと頑張っている仲間達もいる。いずれにしても知識欲旺盛で歓談がしばしば激論になる事もある。また欠席者の近況も幹事より報告あり、数名の方々は体調不良との事であるが、その他はみな元気で活躍中との事。慶賀の至りである。明3日は鎌倉大仏、長谷寺、鎌倉文学館を観光後昼食、午後は鶴岡八幡宮、源頼朝の墓、北条一門終焉の地である“腹きりやぐら”を見た後、鎌倉駅前にて解散。
 台風一過後でもあり、好天の秋日和の中をよく歩き、よく食べ、よく呑み、そしてよく談笑した一日であった。ここ数年は関東組と関西組で交互に幹事を引き受け、年一回の同窓会を実施しているが、更に分科会を開催して大いに楽しもうとの活発な意見もあり、老いて益々活性化しつつあると言えよう。又、各人の活動範囲も形而上及び形而下の広範な分野に及んでおり、その一端は同人誌“ばけだす”に投稿されてメンバーの楽しみを倍増している。今後に乞う御期待。

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福本敬夫(新制化25回)


 前回箱根で開いてから15年、延び延びになっていた同窓会をやっと開くことができた。「やっと」というのは、ここ毎年関西在住の同期は、新年会といっては気軽に集まっていたが、その折関西以外に住んでいる人たちにももっと声をかけよう、と言いながらなかなか実現しなかったからである。しかしながら、よく考えてみれば前回箱根で開いたのが卒業して10年後、今年はさらに15年経っているので25年後、歳も四捨五入すれば皆50歳、そして私たちは化学科25回生と、数字のゴロ合わせだけはうまくいっているとひとり納得しているのだが。
 今回姫路で同窓会を開いたのは、大学を卒業してまもなく、原因は未だかって不明なのだが、亡くなった同期のI氏のお墓参りを実現するためでもあった。そこで同窓会に先立ち、参加できる方はできるだけ、ということで市内のお寺にお墓参りに行くこととしたが、ほとんど全員参加してくれた。I氏との付き合いは様々であったが、お墓参りをしながら大学時代のことや研究室でのこと、また一緒に遊んだ思い出などを皆で暫し話し合った。きっとI氏も墓の下で、久しぶりの再会に懐かしく感じてくれたことだろう。年度末の忙しい時期に駆けつけてくれた皆に感謝したい。
 同窓会は夕方から市内の中華料理屋で開いた。北は盛岡、南は大分からと20名の参加者であった。中には前回の箱根に参加していないために、卒業して以来という懐かしい顔もあった。皆で再会を期して乾杯をした後、同窓会お決まりの近況報告をしてもらった。箱根のときと違ったのは、皆歳を取ったことや時節柄であろうか、話題の中心が職場や家庭内に様々な問題を抱えていることであった。各人が各人なりに、それぞれの人生の重みを背負って生きているということであろう。しかしながら、宴も半ばになると皆久しぶりに学生時代に戻り、大学時代の思い出話など話題が途切れることなく、各テーブルで談笑が続いた。学生時代の隠されたエピソードや暴露話は出なかったが、話題は尽きることなく、中華料理屋から場所をかえて喫茶店での1.5次会、ホテルのラウンジでの二次会、そして宿泊先での深夜に及ぶ三次会と延々と続くはめとなり、翌朝はほとんどが睡眠不足と二日酔いの状態となった。
 しかしながら、時の経つのは早いものである。私たちが卒業してから四半世紀が過ぎようとし、当時若さに溢れ、目を爛々と輝かせていた若者も、今ではいわゆる「いいおっちゃん」である。外見はさすがに当時のままとはいかないが(自分は昔とほとんど変わっていないと思っているものや、昔の面影をすっかりどこかに捨ててきたものなど様々であるが)、心のどこかには「永遠の青年」の気概を持ち続けているのが感じられる。同窓会とは、そんな気概を思い起こさせてくれる、ふっと立ち寄った居酒屋かもしれない。
(後記)
 同窓会の盛り上がった雰囲気の中で次回は5年後と決まったが、ルーズな我が同期である。きっと5年後には開かれず、前述の「ゴロ合わせ理論」に従えばよくて10年後、まさか25年後ということにはなるまい。そういえば翌朝、風が強く寒い中、皆との別れの言葉は「じゃ、また」だったっけ。

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新制化学科33回生の近況

2010年02月24日(水)

黒川智文(新制化33回)


 私たちが大阪大学理学部化学科を卒業して早17年、今年は全員が40歳代となります。私は竹中 晋君の後任として永契会クラス幹事を引き受けておりましたが、昨年ニューズレター寄稿の依頼を受けた際、自分が同窓生のことを何も知らず、またクラス幹事としての役目を何も果たしていないことに気づきました。これではいかんと一念発起し、まず虫食い状態になっていたクラス名簿を作り直しにかかりました。これには化学科同期生内の「友達の輪」と文明の利器であるe-mailをフル活用し、皆さんの協力によりかなりの成果が得られました。またこの作業を通して同窓生の近況を集めることができましたので、e-mailアドレスを入手できた同窓生にはクラス名簿と皆の近況を配布しました。
 大学入学時にはほぼ似通っていた同窓生の歩みも卒業17年も経つと人それぞれです。卒業後も大学で第一線の研究を続け後輩の指導にあたる人、企業に就職して研究活動を続ける人、学生時代とは異なる分野で頑張っている人、家業を継いだ人、いったん企業に就職した後大学に戻って研究室を立ち上げる人、卒業後再び大学で勉強しなおして自分の目指す道を進む人、勤務先からの派遣等で海外で活躍している人、資格を取って新しい職にトライしようとしている人、などなどです。私自身は大学院修士課程を卒業後就職した製薬企業で、組織改革に伴う何度かの部署配転や海外派遣を経験しながら16年間の研究生活を続け、最近は3名の仲間と共にバイオ関係の仕事に従事しています。家庭では8歳の娘と4歳の息子の父となり、公私共に少しずつ責任が重くなってきたこと実感しております。紙面の都合により同窓生一人一人の近況をここでお伝えできないのが残念です。
 昨年、新制化学科33回生の女性たちが二神(旧姓島内)さんの住んでおられる高知に集まられたそうです。写真はその時に撮られたものです。ちなみに右から2番目のお嬢さんは二神さん(右端)のお嬢さんですが、皆さんお若いので全員同窓生といっても違和感ないですね。残念ながら新制化学科33回生全体の同窓会は卒業後一度も開かれていませんが、同窓生の近況報告にも同窓会の開催を期待する声が多かったのでできれば近いうちに開きたいと思います。またクラス名簿の更新と同窓生の近況報告は定期的に続けていきたいと考えていますので、住所等の変更igel@leto.eo.ne.jpまでご一報ください。

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島本啓子(新制化32回)

 2002年1月4日、化学科32回生の同窓会が梅田にて開催されました。卒業後しばらくは毎年のように同窓会を開いていましたが、転勤・結婚など忙しい年代になったためか、ここ10年ばかりご無沙汰になっていました。

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