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2001年度

旧制3回生の近況

2001年11月26日(月)
関 集三(旧制3回)

 昭和13年3月(1938年)に卒業して早くも63年の歳月が過ぎました。入学時、19名と中国から2名の留学生、入学後間もなく死去された1名の計22名だった同級生も、今日、勝村龍雄、吉田統一、及び小生のわずか3名となってしまいました。誠に寂寥の感に堪えない次第です。3名中、吉田さんは鎌倉におられますので余り文通がありませんが、勝村さんと小生は、永年、学会や近畿化学協会の会合で毎年顔を合わせております。去る今年1月25日の近畿化学協会の第56回新年交歓会で、久方振りにお会いし、お互いに無事息災をよろこんだ次第です。勝村さんは大阪ソーダの名誉会長として月1回は会社に出ておられる由、小生も毎月1回の上京、日本学士院例会に出席し、17年目となりました。上述の新年交歓会では、勝村さんの御子息、御孫様の計4名が出席されるという珍らしい化学者一家の御家系で大変お目出度いこととお喜び申し上げた次第でした。

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旧制7回生の近況について

2001年11月26日(月)
中川正澄(旧制7回)

広川作太郎君 近況報告:繰り上げ卒業、兵役、復員と忙しい青春でしたが、心身ともに衰えて仕舞った今日この頃では、往時の思い出を懐かしんでいます。7回生の皆さんの御健康を祈ります。

相見正典君 近況報告:相見君は先年より福井県大山町に移り住んでおられたが、昨年は相見家にとって大変な年であった。ペット(猫)の問題で住んで居られた家を出なければならなくなり、転居を計画し、荷造り中に奥さんがガンで入院、続いて相見君も入院、3ヶ月後に退院。この間に御子さん方が協議の末、老人用の邸宅を新築し、2月に完成。相見君も退院とともに新居に移り、米子の病院に入院中の奥さんも1月末には退院の可能性がお在りとのこと、その実現を祈って居ります。

中川正澄君 近況報告:短期現役技術候補生に合格。卒業後陸軍研究所に配属。研究に従事。敗戦後阪大理学部に復帰。研究一筋の生活をおくって停年を迎えた。同門の先輩 ダイソー社長勝村龍雄様により顧問に任命。同社に勤務。年齢が加わるにつれて自分の理解力、判断力の低下を痛感して居る。現在は公的な仕事からは一切身を引いて居る。本年85歳を祝って門下生が論文集を捧げてくれたのは嬉しい限りである。

赤松二郎君 近況報告:物忘れ、理解力の低下などぼけが進行中と謙遜に述べられているが、老人検診で見い出されて居る心臓の弁の不具合は全く自覚症状がないとのこと、お二人での山歩きは30数年続けておられ、昨年は穂高又白の池を訪れられたとのこと、一日中誰にも会うこと無く歩き続けられたとのこと。「何時ころりと行くか判らないジジイ」といっておられますが、お元気な御様子は大慶に存じます。

上原喜八郎君 近況報告:返信が遅くなりましたことをお詫びします。阪神大震災に被災(家屋全壊)しましたので記念や写真などは総べて失いました。宜しく御願い致します。

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旧制9回生クラス会

2001年11月26日(月)
加藤俊二(旧制9回)

 私達のクラス会は25年間の休止の後、1993年秋から1年半毎に1泊の集合を続けています。1999年には明石海峡大橋にかかる中秋の明月をめで、2001年春には熱海に集まりました。卒業したのは22名ですが、戦死2名を含めて丁度半数の11名が故人となりました。既に全員が80歳を超えましたが、クラス会に出席する者は皆70歳前半の若さを保っています。また、亡友の夫人にも会への参加をすすめ、夫人同伴も行っています。

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旧制12回生クラス会

2001年11月26日(月)
森  泰(旧制12回)

 ’99年5月喜寿の祝のクラス会を琵琶湖北岸で開いた時に、今度は十三の天津閣で11月第3水曜日に開くと決め、昨年は第二回目として11月22日に開催しました。関東勢、九州組は参加無く、近畿在住の8名のみのクラス会となり、御互いの健康を願って乾杯、最近の動静、欠席者の情報、物故者の思い出、戦時中の学生時代苦労した事等々、語り合い、料理の豪勢さと相俟って時の経つのを忘れる様でした。

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開かれなかった同窓会

2001年11月26日(月)
千原秀昭(旧制14回)

 戦後の混乱期に卒業し、化学を続けられたのが不思議なくらいの同窓生一同ですが、それでも落ちつきを取り戻して、折に触れて旧師をお招きしたりして同窓会を開いてきましたが、ここ数年何となく途切れています。本誌から近況の報告を求められて、そのことに気づきました。実は私たちのクラスは化学以外の道へ進んだ人がわりと多くて、シナリオライター(皆さんテレビドラマのテロップでそれと知らずに名前をご覧になっているはず)あり、医者あり、書店主あり、バーの経営者ありと多士済々なのです。裏を返せば、化学でメシが食えなかった時代だったともいえますが、故赤堀四郎先生をお招きした同窓会で、「私たちにはロクに講義もしないでさっさと卒業証書を渡してしまったのは無責任ですよ。それでみんなどれだけ苦労したことか。」とつるし上げ(?)をしたこともありました。赤堀先生少しも慌てず、「それでもみんなちゃんとえらそうに先生をやっているじゃないか。講義なんてしないほうがいいこともあるんだよ」。いろいろ思い出してきましたので、クラス幹事たる者一念発起して、同窓会を招集することにします。卒業したときは35人だったのが23人になりましたが、まだまだ元気です。集合写真がないので、私の近影を小さく載せてください。みんなこれくらいのおじいちゃんになりました。

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70歳を過ぎて、ますます元気

2001年11月26日(月)
福井俊郎(新制1回)

 1953年卒のわれわれ五三会メンバーも、今年で皆70歳を越しました。卒業してからの激動期にいろいろのことを体験してきましたが、中之島校舎で学んだ日々はついこの間のことのように思い出されます。50名のクラスメートの中で、石田、片岡、塚本、西田、綿谷の諸君を病気で失ったというものの、残りの皆はますます元気です。

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新制化学科43回生の近況

2001年11月26日(月)
秋津貴城(新制化43回)

 大阪大学理学部化学科に入学したのが、湾岸戦争の勃発した1991年の春、卒業したのが、阪神淡路大震災に見舞われた1995年。なにかと物騒な巡り合わせの新制化学科43回生も、社会の各方面に巣立ち、早いもので、おおむね三十台を迎えた。ちょうど、論語でいう「三十にして立つ」年代である。

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近江路にクラス会開催

2001年11月17日(土)
奥戸 浩(新制化4回)

 私たち昭和31年卒業組(この定義については種々の異見があり、現在では範囲を最も広く取ろうと、この年次に相当する入学、卒業者のすべてを含むようにしたいと考えています)は、この1年訃報を聞くこともなく、元気に過ごしていますが、平成13年11月17、18の両日に今年度の同期会を開きました。

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旧制11回生同窓会報告

2001年10月26日(金)
松井邦夫(旧制11回)

 化学科旧制11回生は毎年旅行を兼ねてクラス会を開いていた。しかし寄る年は如何ともし難く、残念ながら旅行は成立せず、関西地区の会として下記のように行った。

 平成13年10月10日午前11時半より、リーガロイヤルホテル、スーパーバイキングにて。

 出席者:今永勇二郎、小竹宏志、沢田昌一、中田 弘、松井邦夫、桃谷政順、山崎太郎、以上7名。

 約1時間半、沢田、桃谷両君の珍しい出席者を囲み、楽しい会となった。

 尚、中本一男君が優れた著作のために米国化学会より表彰されたとの報告があった。来年は是非とも旅行を実施したいもの。

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岩井薫・猿田茂・藤沢和久(新制高12回)

 私達のクラスでは卒業約20年後初めて同窓会を開催し、その4年後にも2回目の同窓会を開催することができました。その2回の同窓会の概要を紹介したいと思います。

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