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ご寄稿

永契会の会長時代に多くの会員の協力を得て永契会の歴史を調べ直した結果、事績が二年ほど誤ってずれていることを見出して新しく年表を作成しました。 加えて永契会にかかわる随筆を寄稿したことがあり、掲載します。
(財界の文芸誌「ほほづゑ」99号 2018年に初出。著作権は著者に帰属)


 私は昭和二十八年(一九五三年)に大阪大学理学部化学科を卒業した。最後の旧制大学卒業生である。三十一人の同級生にはガン遺伝子の研究でラスカー賞を受賞し、後年文化勲章受賞者となった花房一郎君、物理化学で学士院賞を受賞した菅宏君のような秀才がいた。大阪大学に理学部化学科が誕生したのは昭和七年(一九三二年)のことで、翌八年に十二名の若者が入学している。同窓会は長く存続していたが特別な名前を持ってはいなかった。昭和二十八年(一九五三年)、私が大学を卒業した年に、化学科が開講してから二十年という節目でもあるし同窓会に名前をつけようということになった。高名な有機化学者であり、大阪大学の総長を勤められた真島利行先生に命名をお願いしたところ「永契会」という名前をいただいた。同年発行の『永契会誌』創刊号に真島先生ご自身がこの名前の由来を書いておられる。

 そもそもこの会名は明治二十九年(一八九六年)に一高を卒業した、理科の組のものが、その組だけでつくった同窓会に会員の一人の私がつけたものであった。これはその頃会員全部に、動物に因んだ愛称がもれなくついておったので、アニマル・キングダムの頭字を取り、AK会と称したのに、漢字をあてはめたものであった。総員三十名を迎えたが、今でも十数人はまだ健在で、東京で春秋二回会合をつづけている。地方在住または健康上の理由で集まるものは右の半数に近い。前後の年に卒業した組よりは長寿者も多く、学会その他に貢献の大なる人も少なくない。この度阪大の化学同窓会委員の方から、会名をつけよとの委託を受けて、種々考えたが、やがては自然消滅になるほかなき従来のAK会の名をお預けすることにした。そして私はこの新しい永契会がA.KLASSEの会員を多く持てるように永続して、本家であった会よりも一段と縁起の善い歴史を有せられるに至らんことを謹んで祈望する次第である。

 生前の真島先生に直接お眼にかかり、ご挨拶をしたのは私たちが最後の世代ではないかと思うが、この寄稿文からも分かるように先生はかなり茶目っ気のある方であったらしい。そんな事情から「永契会」はかつて明治二十九年(一八九六年)第一高等学校理科卒業者の同窓会の名前であったのが現在では大阪大学理学部化学科の同窓会に引き継がれいるわけである。現在六千名を超えるメンバーを擁する「永契会」の会長を私が引き受けたのは二〇〇三年であったが当時は七十年を超える年月の経過とともに会の名前の由来も歴史も忘れ去られていた。私はこれではいけないと考え、いろいろな方のご協力を得て誤りを正し、誰にもわかるように年表を作成した。その過程で個人的な興味から、本来の「永契会」たる明治二十九年(一八九六年)第一高等学校理科の卒業生にはどんな方々がおられたのであろうかと思って調べてみた。官報によると十九名の方々はそれぞれ出身県名と士族・平民の別と氏名が記載されており、そのなかには柴田桂太(植物生理学の権威、高名な無機化学者柴田雄次の兄)、真島利行(漆成分の研究で知られた有機化学者、大阪大学総長)、岡田武松(中央気象台長、世界で初めて船舶からの気象観測情報を無線で中央気象台に報告させる仕組みを作った)、早乙女清房(東京天文台長、ハレー彗星の回帰、皆既日食の観測を行った)、桑木彧雄(科学史学会長、アインシュタインの相対性理論を最初にわが国で紹介した)、大野直枝(植物生理学者、光と重力に反応して屈曲する植物のメカニズムの研究を行った)のように優れた学者がいるのに驚かされた。東京大学予備門として設立された一高がたいへんなエリート校であったことが分る。

 さて何年かがたって、ある未知の方から永契会経由で私あてにメールが入った。どうやらこの方は郵便切手や葉書きを収集すフィラテリストらしく、入手された葉書きの写真が添付されていた。日付は昭和二十五年(一九五〇年)十一月十六日、差出人は岡田武松、宛先は早川金之助である。文面は下記の通り。

拝啓 小春日和のよき日に利根河畔の海坊主の宅に於いて再興永契会第二回の会合を催しました。次回は是非貴君の参加をお待ちします。祈健勝。
早乙女清房、永田政吉、服部広太郎、真島利行、岡田武松、(達筆で判読不明)。

 実は上記永田政吉の名前は崩し字を私が誤読したものであって、正しくは水田政吉であることがのちに分かるのだが、この時はまったく永田と思い込んでいた。私にメイルを送って来られた方は、この葉書にある「永契会」とはいかなる会なのかを調べたところ、大阪大学理学部化学科の同窓会に辿り着いたので取り敢えず会長の私にメールで問い合わせたということらしい。私は大阪大学化学科の同窓会である「永契会」の名前の由来と昭和二十八年(一九五三年)発足の事実を説明し、一方の明治二十九年(一八九六年)一高理科卒業生の再興永契会がいつまで続いたかは知る由もないこと、葉書きに寄せ書きされた方々のうち永田政吉、服部広太郎と判読不明の一名については私も詳細を知らないが、ほかはいずれも高名な学者であることを書き送った。

 その後ここまで調べたからには上記三名の方々の来歴も調べてみなくてはなるまいと考えるに至った。国会図書館で一高の同窓会名簿を探すのには大分手間取ったが、それによると明治二十九年(一八九六年)理科卒業生の名前から早川金之助は海軍の物理学教授、永田政吉は日本石油取締役、服部広太郎は農学部の同年卒業であり、赤坂離宮内にある昭和天皇のための研究所で主任を勤めた生物学者であることも判明した。真島先生の言葉の中に「永契会」のメンバーが三十人とあるのを思い出し、明治二十九年(一八九六年)の卒業生十九名のほかにその後の卒業生もメンバーとして加えられたのではないかと思い、明治三十年(一八九七年)のページもあたってみた。そこには高名な物理化学者片山正夫の名前があり、前記の葉書きをよく見直すと達筆で判読できなかった名前は片山正夫であることが判明した。これで葉書きに寄せ書きをした方々がすべて分かったことになる。永田政吉は高名な学者の間にあってただ一人の産業人なのでどんな人物なのか調べてみたいと思ったもののなかなか決め手がない。ある時散歩していて、たまたま日本石油の本社近くを通りかかったので受付の女性に社史に関して調べたいのでどなたか昔のことに詳しい方にお会いしたいと申し入れた。幸い秘書室とOB会の方が応対してくださり、永田という名前の役員を社史で調べたもののどうしても見つからない。ところが同席していた女子社員が「永の字と水の字は点が有るか無いかだけの違いなので、もしかして水田ではありませんか」と言いだした。眼から鱗とはこのことで早速あたってみたところ、水田氏は東京大学工学部を卒業してガス会社に入社し、のちに日本石油に迎えられて技術分野で枢要な地位を占め、終戦前後に日本石油三代目の社長を勤められた方であることが判明した。

 これで岡田武松の葉書きにあるすべての関係者の経歴が明らかになったのだが「利根川河畔の海坊主宅において」というところが分からない。「永契会」の発端であるアニマル・キングダムで誰がどんな動物の綽名をつけられていたのかは不明だが、真島先生のお写真を拝見するといかにも海坊主の綽名にふさわしいような気がするので多分間違いなかろうと私は勝手に解釈していた。ところが或る所で昭和四十三年(一九六八年)に発行された岡田武松の伝記を発見して拾い読みしていたところ、彼は利根川河畔に生まれ育ち、利根川の度重なる氾濫を見て、郷里の大先輩伊能忠敬に触発されて気象学を志したとある。さらに読み進むと学生時代の岡田武松は綽名が海坊主で、彼の風貌と茫洋としたところのある性格に似合いであったと書かれている。私は読みながら笑いがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。彼について特筆すべきは、日本海海戦においてかの有名な司令長官東郷平八郎の「この日天気晴朗なれど浪高し」の元になる気象の予報をみずから行い、「天気晴朗なるも浪高かるべし」と電信で送った事実である。これで前掲の葉書きに出てくる内容はすべてが明らかになったことになる。調べついでに第一高等学校同窓会名簿で理科の卒業生を明治二十八年(一八九五年)、以降三十五年(一九〇二年)まで当たってみた。明治二十九年卒以外では三十年卒の片山正夫と三十五年卒の石原純(物理学者にして歌人)を除いて私が名前を知っているような有名人はいなかった。明治二十九年(一八九六年)卒十九名のクラスにいかに秀才が集まっていたかがよく分かる。勿論卒業生の中には国立大学教授は他にもたくさんおられるので、真島先生が「永契会」の仲間が三十名と書かれていることも、二十九年卒が前後の年に卒業した組よりは学会その他に貢献の大なる人が多いと言われていることも充分理解できる。それにしても伝記に掲載されている岡田武松の写真と真島先生の写真とを並べてみると真島先生のほうが海坊主の綽名にふさわしいような感じを受けるのがおかしい。

 蛇足になるが私の成城高校時代の親友故相原正彦君が岡田武松の設立になる気象大学の学長であったことも忘れるわけにはいかない。



早川金之助宛、岡田武松差出の葉書 (昭和25年11月16日消印)
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2022年4月4日  菅 宏 (旧制19回)


 

19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、オランダの物理・化学が世界を大きくリードしました。Lorentzによる電磁気学の発展、Kamerlingh Onnesによるヘリウム液化と超流動・超伝導の発見などはその好例です。今日の化学の教科書にはvan der Waalsやvan’t Hoffの名前が出てきます。今回、オランダ王立化学会は、van’t Hoffが研究したアムステルダム大学の古い研究室を記念すべき化学史跡として保存し、化学のランドマークとする宣言をしました。van’t Hoff (1852-1911) はデルフト工科大学を卒業後、ライデン大学に進学して化学を学び、1874年ユトレヒト大学で博士号を取得しました。1878年にアムステルダム大学の化学科教授に就任し、小さな研究室で精力的研究を始めたのです。

(画像:ブールハーヴェ国立美術館)

1884年、反応速度論に関する著書 Études de Dynamique chimiqueを出版し、反応次数を求める新たな手法を提唱しました。化学平衡の熱力学的法則を適用してファン・ト・ホフの式を導くという画期的方法を提案しました。現代的な意味での化学親和力という概念も導入しています。平衡定数を温度の逆数でプロットし、その勾配から反応エンタルピー、切片から反応エントロピーを求める操作を学生実験で行ったことを思い出します。

また「稀薄溶液の浸透圧は絶対温度と溶液のモル濃度に比例する」という法則を発見し、浸透圧Πを表す式が理想気体の状態方程式と同じ形で表現しうることを示しました。

ΠV =nRT

いずれも物理化学の基礎となった重要な研究成果です。これらの画期的な業績により、1901年に最初のノーベル化学賞を受賞しました。1887年、ドイツのW. Ostwald教授、スエーデンのS. Arrhenius教授とZeitschrift für physikalische Chemieを創刊しています。

van’t Hoff教授の名声が高まると共に、国際的に著名な大学から多くの招聘状が届きました。市議会は足取め策としてファン・ト・ホフ研究所を設置しましたが、これが今日のファン・ト・ホフ分子科学研究所van’t Hoff Institute for Molecular Sciences (HIMS)の歴史的前身です。同大学理学部の研究機関の一つとして大きく発展し、現在では30以上の国籍を持つ約200人の研究者が在籍して活発に研究を進めています。研究対象としては複雑系としての材料化学, 持続可能性のための化学、生体分子系の化学など多岐に亘っています。狭い専門的知識の融合と強い国際的連携が求められているのが特徴です。

博士号取得前の1874年、ファン・ト・ホフは有機化学について画期的なアイデイアに基づいた「現在の化学において用いられている構造式を空間的に拡大する試み」を僅か13頁の小冊子として発表し、やがて化学思考に大きな影響を与えて立体化学の発展に弾みをつけました。天才的な洞察力です。光学活性の説明として炭素の共有結合が正三角錐の中心から頂点方向を向いているという不斉炭素原子説を提唱したのです。パスツールが発見した光学異性体を説明するための仮説で、同門のル・ベルが独立に同じ内容のモデルを提案したためファントホフ・ルベルの法則とも呼ばれます。この理論は余りにも革新的であった為、当時の学会からは賛成よりも批判の方が多かったようです。

実験的検証として行われた結果についての論争は、いまも語り継がれています。Mark博士らはX線回折の結果から、上記仮説と異なる炭素の四角錐構造を結論しました。その回折写真を注意深く見て、読み違いの可能性があることに気付かれた恩師の仁田勇先生は、ペンタエリスリトールC(CH2OH)4結晶のX線回折の実験結果から、正四面体構造の対称性を結論付けました。Mark博士はそれに反論しましたが、最終的には仁田先生の結論が正しいことを認めました。これが切欠となって、二人の間に友人として終生にわたる交流が始まったのです。

[追記] オランダ人の先駆的精神は確実に受け継がれており、最近の金属燃料の開発には独自性と斬新性に驚かされます。夜間の余剰エネルギーを鉄粉の形で蓄え、クリーンな金属燃料として使用するのです。燃焼生成物の酸化鉄は余剰電力で作った水素の還元作用でリサイクルが可能ですし、石油と違って運搬が容易です。2019年、老舗のSwinkels Family Brewers社はこの方法を産業規模で機能させる世界初の企業になりました。年間約1,500万杯のビール製造に必要な加温や煮沸など、すべての熱源となる循環鉄燃料システムを醸造所に設置したのです。政府は全ての企業に対して、このシステムを採用するよう強く促しています。最終目標は2030年までにオランダ中の石炭火力発電所を全て鉄燃料システムに置き換えるとのことで、脱炭素社会の構築を目指して世界をリードしています。

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物質界のビッグデータ

2019年07月07日(日)

2019年7月5日  菅 宏 (旧制19回)


 

C&EN誌の2019年5月16日号によりますと、Chemical Abstracts Service(CAS)に登録された化学物質の数が、5月8日に1億5千万に達したとのことです。米国化学会の情報部門であるCASは、化学情報の権威として公表されたすべての化学物質情報を収集して、体系化する世界で唯一の機関です.CAS のデータベースは,世界の大学,政府機関,特許発行機関、製薬企業などから信頼され、活用されています.化学物質情報を識別して集計するCAS機構は、1965年に設立されました。現在では、世界最大規模の独自の化学物質に関するデータベースになっています。現役時代、理学部図書室で最も大きな空間を占めていたことを思い出します。最初の2500万物質を登録するには約40年かかりましたが、それを2005年に達成しています。

 

以降、CASは平均して2.5分ごとに新物質を登録したことになり、2019年5月8日に大きな節目を迎えることになったのです。記念すべき節目に遭遇したラッキーな化合物はCAS登録番号2306877-20-1に割り当てられ、Merckにより特許が取得された分子です。癌および慢性関節リウマチを含む免疫疾患の治療において研究された化合物です。2-[[3,3-Difluoro-1-[(2R)-2-hydroxy-1- oxopropyl]-4-piperidinyl]oxy]-5-[2-[[5-[(2R)-2,4-dimethyl-1-piperazinyl -6-methoxy-2-pyridinyl]amino]-4-pyrimidinyl]benzonitrile.

 

約一ヵ月後、今度はケンブリッジ結晶学的データセンター(CCDC; The Cambridge Crystallographic Data Centre)から、登録された分子構造の数が100万個に達したという記事がChemistry World誌6月6日号に掲載されました。1965年にケンブリッジ大学のグループによって始められた世界規模の結晶X線解析データ収集作業は50年を迎えたのです。作業が始まったのは,X線回折の強度データを銀写真像から集めていた時代からコンピュータ制御の四軸回折計に代わろうとした過渡期です。私が仁田研究室で卒業研究を始めたのは1952年、その頃に構造解析が行われた物質は数千個程度と伺ったことがあり、以後の構造解析が急ピッチで進んだことを示しています。CASに登録された物質の中で構造が眼に見える形で示されたものは1%にも達しませんが、分子がどのように立体的に振る舞い、三次元的に相互作用するか?そして最終的にどのように物理的性質や化学反応に影響するかを理解する上で、与えた影響は計り知れないものがあります。

 

100万個目に登録された構造を持つ分子は1-(7,9-diacetyl -11-methyl-6H-azepino[1,2-a]indol-6-yl)propan-2-one、Refcode;XOPCAJという有機化合物です。Refcodeというのは登録された物質に付けられた識別子で、検索する上で有用、かつ効率的です。XOPCAJで検索すると、構造が記載されているだけでなく、時には多様で充実した情報を得ることができ、データから引き出される洞察への信頼性を高めます。XOPCAJに記載されたURLにアクセスすると、上の図が回転して描像が三次元的に広がります。この分子はカルコゲン結合を持つ触媒が、複数の反応ステップを順次活性化することによって生成されたN-複素環化合物です。

 

この機会に登録された構造の中で、ユニークなものが紹介されています。まず、100万個の中で最も小さな単位格子を持つ分子として、高温・高圧下の二酸化炭素が挙げられます。7つの多形が知られていますが、680 K、28 GPaでの結晶相 IIはP42/mnm (z=2)の正方晶系で、単位胞体積は僅か50 Å3 、すなわち5×10–29 m3に過ぎません。この構造では直線状の分子性結晶ですが、更に高温・高圧下になると炭素原子はsp混成からsp2やsp3混成に変化して、分子性が顕著に変化すると言われています。

 

対照的に、高分子を除いて最も大きな単位胞を持つ分子がQUFYIBの識別子を持つ2,4,6,8,10,12,13,14-octakis(N,N’,N”-((2,4,6-tributoxybenzene-1,3,5-triyl)-tris(methylene))tris(methylideneamine))-1,3,5,7,9,11-hexakis(4,4′,4”,4”’-(porphyrin-5,10,15,20-tetrayl)tetraphenyl)undecacyclo [5.5.1.11,3.02,5.03,10.04,9.05,13.06,9.07,12.08,11.011,14] tetradecaphane porphyrin です。

空間群R3cの三方晶で単位格子は以下の通りです。(1 Å = 0.1 nm) a=29.518(4))Å、 b=29.518(4)Å、 c=125.69(3)Å、α=90°,β=90°γ=120°で与えられています。分子中に500個以上の原子を含む複雑な化合物の1つです。

 

この分子は直径19.5 Åの空洞を持ち、水溶液中で広範なpH範囲に亘って安定に存在します。空洞に捕捉されたゲスト分子を完全に除去した後でも結晶性と空洞構造は損なわれず、既知の多孔質有機分子の中で最も高い比表面積1370 m2 g-1を持っています。新たなホスト・ゲスト化学への展開も期待されています。

現時点で、単一の構造の中で最も多種類の原子を含む分子は、11の異なる原子含んだRefcode LIMSUWです。構造式はC36H70Ag2Cl4Co2F6N2O26P6Ru2S2で,その正式名はbis((μ3-chloro)-(μ2-chloro))-hexakis(μ2-diethyl phosphonato)-bis( (η-5-cyclopentadienyl) -(tri- fluoromethanesulfonate)-(nitrosyl))-di-cobalt-di- ruthenium(II)-di-silverです。これだけ複雑で多種類の原子を含む分子の構造が決定されたということは、1950年代の解析技術を知る者にとっては驚きの限りです。構造解析にはR因子という、構造決定の不信頼度を示す物理量が記載されています。最近のデータのR因子は殆どが0.05で、95 % 信頼できることを意味し、結晶の質や解析技術の改良が年毎に進歩し続けてきたことを明瞭に示しています。

 

髪の毛を編んで3本の異なる束を絡み合わせるのは、良く見られることです。しかし、ミクロの世界でこのような結び目を数多く持つ分子を合成したことは大変珍しいことです。D.Leigh教授率いるマンチェスター大学の研究チームは、これまで以上に緻密で複雑な結び目を作ることを可能にする複数の分子鎖を編む方法を開発しました。長さ約20 nmの192個の原子からなるループが、3つの有機配位子鎖を誘導するために鉄イオン配位を使用して、8つの強固な結び目を作るのです。八面体鉄(II)イオンは、環状三重らせんの各交差点における三本鎖の相対位置を制御しています。鉄イオン(紫色)、酸素原子(赤)、窒素原子(紺)、炭素原子(灰)で示され、構造の中心には塩化物イオン(緑)が示されています。公式にこれまでに生み出された最も堅固な結び目を持つ分子の合成ということで、ギネス世界記録を授与されています。また、米国化学協会から「 Molecules of the Year 2017」にも選ばれました。 これまでに知られている中で最も強固に結び付けられた物理的構造を作り出すことは、それが新世代の先端材料を生み出す可能性を秘めています。

 

最も重い元素を含む化合物はカリフォルニウムCfを含む化合物で、FIHLIU 識別子名のtris(diethyl-carbamodithioato)-(1,10-phenanthroline)-californium です。アセトニトリルを溶媒和した結晶で、空間群P21/cを持つ単斜晶です。f核の電子が化学結合にどのような影響を与えるか?という観点から、選ばれたアクチナイド系化合物の1つです。An(S2CNEt2)3(N2C12H8) (An=Am, Cm, and Cf)の中で、An=Cfの分子構造を図示しました。構造解析の結果、Cm–Sの平均結合距離は ( 2.86 ± 0.04 Å)、 Cf–S の平均結合距離は( 2.84 ± 0.04 Å) と決定されました。アクチナイド系とランタナイド系の結合を比較することも興味あることです。

 

組織的に集積されたCCDCの高度な検索システム、3-D視覚化ソフトウェアと共に、この豊富な分子構造データ源は学術界と産業界の両方の科学者が研究を進め、新しい成果を予測することに役立ちます。さらに、ここから得られた知識は、計算化学や分子モデリングを支えるものであり、基礎化学の進歩だけでなく、新薬の開発など産業界にも大きく寄与しているのです。

 

熱力学的性質を集めたデータ集もあり、温度変化や相変化に伴うエンタルピーやエントロピーなどの熱力学量の変化、25 ℃における燃焼熱、溶解熱、混合熱、希釈熱、あるいは多成分系の相図など膨大なデータがあります。しかし、入手できるデータ集は高純度物質に対して測定された精度・確度の高いデータなど、精選されたものだけです。厳密な熱力学原理の性格を反映した結果で、不確実なデータは熱力学関係式によって他の関数に伝播するからです。そんな訳で、未だビッグデータの段階に達しているとは言い難い現状です。米国国立標準局(現NIST)とソビエト(ロシア)科学アカデミーとが独立してデータ編纂を行っていましたが、現在は殆んど休止状態です。他にもさまざまな化学データベースがありますが、そこに記載されている分子には奇妙な特徴があります。偶数個の炭素原子を持つ分子は、奇数個の炭素原子を持つ分子よりも頻繁に出現しています。 この不均衡は偶数個の化合物がより単純な合成経路を持っていることに関連しており、そしてその傾向は今日でもなお明白です。

 

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保護中: 「永契会」由来

2019年03月18日(月)

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W. Astbury博士のことなど

2015年05月18日(月)

2015年5月13日  菅 宏 (旧制19回)


英国では科学教育を進める一環として科学週間を設けており、今年は3月13-25日の10日間が当てられました。初等・中等教育を受ける生徒が中心ですが、全ての年齢層に科学・技術の発展やその恩恵の再認識などを目的として、さまざまな講演や実技が行われ、生徒達が熱心に受講している写真を見ることが出来ます。今年の大きなイベントはSchool Poster Competition、すなわち身の周りで観測される事象の科学的側面をポスターにして競い合うもので、学校の名誉に懸けて生徒たちの競争心が掻き立てられ、教師陣ともども張り切っているようです。探究心や科学への芽を育てる上で、大変良い企画かと感心しました。

 

オックスフォード大学からのNewsletterで、この期間中に「A forgotten giant in the hunt for DNA」と題する講演がK. Hall博士によって行われたという記事が目に留まりました。DNA研究での忘れられた巨人という人物なのですが、残念ながら私には未知の学者です。Hall博士は述べています。「Isaac Newton卿は自分の発見の多くは、幸いにも自分が巨人の肩に乗っかる機会があったから出来たと言っております。そう、多くの巨人の名前は記憶から消失してしまいがちです。そして忘れられた巨人の一人がWilliam Astbury(1898-1961年)なのです。約30年前、生化学を研究するためSt, Anne’s Collegeに赴任した時、彼が生涯の大部分を過ごしたLeedsの街は私の故郷であるにも関わらず、彼の名前は私には無縁でした。しかし、研究を始めて直ぐに、アストベリー博士が私の研究分野で大きなインパクトを与えた人物であることを知りました。

 

ノーベル賞学者のMax Perutz博士が、彼の研究室を「Ⅹ線研究のヴァチカン」と称するほどの国際的業績を挙げていたのです。物理学の教育を受けたのち、アストベリー博士は生体を構成する巨大鎖状分子に興味を持ちます。羊毛繊維に対する初期の研究は蛋白の構造に極めて重要な知見を与え、ヨークシャーの繊維工業界にも大きな影響を与えています。これが契機となって、生命の遺伝を預かるDNA分子に対する挑戦が始まったのです。その構造モデルを始めて提案しています。このようなアストベリー博士のことを聞く機会が無かった理由を考えてみました。ヨークシャーで行われたクリケット国際試合で、無敵のオーストラリアチームを打ち破った時の立役者Ian Bothamの名前は今でも覚えているのですが、その時の英国チームの他の選手の名前は殆ど思い出せないのです。スポーツの世界では華々しく活躍した選手の名前だけが記憶されがちですが、科学の世界でも同じことが言えるのでしょう。彼はDNA構造解析の國際競争に参加したのですが、真っ先にゴールに飛び込むことは出来なかったのです。しかしアストベリー博士の鋭い洞察は M.ウィルキンスR.フランクリンの研究に引き継がれ、そこから F.クリックJ.ワトソンが正しいDNAの構造モデルを提案するに至った上で巨人的役割を果たしたのです。

 

彼が競争の一番手ではなかったにしろ、彼の科学的遺産を看過することはできません。生体機能は構成する巨大分子を通じて理解すべきであるという分子生物学を誕生させたのです。クラシック音楽の愛好者でもあった博士は、このような鎖状高分子こそ自然が選んだ創造の調和に相応しい楽器であると述べています。科学の熱心な推進者となった彼は、日常的言葉で分子生物学の考え方を訴え続けました。とっておきの逸話は、落花生から抽出した蛋白の分子構造を変えて不溶性にした繊維でコートを作らせたことです。生命現象を分子構造から理解しようとしただけでなく、分子レベルで性質を変えることも行ったのです。幸運にも私は地域の図書館で館員の一人が博士の孫であることを知り、これが切っ掛けで私は博士の伝記を書くことにしました。題目は The Man in the Monkeynut Coat: William Astbury and the Forgotten Road to the Double-Helix (Oxford University Press)です」

 

この記事を読んで私は恩師の仁田 勇先生のことを連想しました。理研時代に炭素の正四面体構造を実験的に証明し、若くして世界の結晶学界最前線の仲間入りを果たされたことは良く知られています。しかし、恩師の西川正治先生が行われた生糸、竹などの繊維状物質に対する先駆的研究の影響を受けられて、仁田先生も木材の繊維構造を調べるべく、そのX線的研究をされたことは余り知られていません[木材組織のX線的研究:仁田勇、X線、2, 111 (1941)]。仁田先生は繊維状高分子に並々ならぬ興味を持っておられたのです。日本におけるX線構造解析の黎明期で、仁田先生はアストベリー博士より1年後のお生まれです。32歳という若さで理学部化学科・物理化学講座を担当されてからは、基礎化学の立場から対象物質を選ばれましたが、繊維高分子の重要性をしっかりと認識し続けておられました。6年に及ぶ欧州滞在で最先端の高分子化学を学んで帰国された呉 祐吉博士が、適当な就職先が見付からないことを知られた仁田先生は、真島理学部長のご了解を得られた上で未だ埋まっていなかった研究室の講師の席を提供され、客員研究員として迎えられました。

 

やがて合成高分子の重要性を知った関西繊維業界から寄付された繊維高分子研究所へ、教授として移られた呉先生は直ぐに谷久也先生とご一緒に、グリシン誘導体からポリペプチドの合成やポリエチレンの物理的性質の研究をしておられます。村橋俊介先生など他の先生方も加わって繊維高分子の研究が次第に充実し、やがて高分子学科の誕生に繋がったのです。新学科へは高弟の一人である田所宏行博士が移られて結晶性高分子の構造解析に従事、また角戸正夫博士は蛋白研で生体高分子の構造解析に従事され、それぞれ大きな役割を果たされました。昨年の世界結晶年を記念して大阪大学博物館で開催された「魅惑の美 Crystal – 最先端科学が拓く新しい結晶の魅力」の展示会でも、これらの成果の一部が陳列されていました。高分子学科は化学科と協調しながら新分野の開拓を進めており、その発展の経緯を考えると仁田先生の卓抜した先見性に改めて深い敬意を表する次第です。

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関 集三(旧制3回)

数年前から私の同期生は老生唯一名ですので、例年通り自分の関係した近況について報告します。1996年、標記の「国際会議」が初めで「アジア地区の我国」で開催され、阪大名誉教授 菅 宏(旧19回生)が組織委員長、老生が名誉組織委員長をつとめました。それから14年後の昨年7月31日から一週間、つくば市で標記の学会が36ヶ国、665名、550件発表の規模で見事成功裡に終了しました。組織委員長は東工大特任教授の阿竹 徹(新14回生)、副委員長阪大名誉教授 徂徠道夫(新10回生)、名誉組織委員長には菅 宏および老生、事務局長には筑波大学教授 齋藤一弥(新29回生)、運営委員には阪大教授の稲葉 章(新19回生)、中澤康浩(名誉会員)および東工大教授小國正春(S.48修)が参加され、稲葉教授はさらにプログラム委員長をつとめられました。
さて、開会式には、天皇、皇后両陛下の御臨席を賜り、前文部科学大臣および茨城県知事の祝辞、共催学会長の挨拶としては、日本熱測学会、日本化学会、日本学術会議、IUPACの各団体の代表が述べられた。元首、中央・地方政界、との交流が見事に果たされました。このなかにあって私共が設立した主役の日本熱測定学会(昨秋第46年会)のご配慮で "Special Session in Honor of Prof. S. Seki and Prof. H. Suga"が二日間に亘り行われ、菅、徂徠、松尾、小國の永契会メンバーが参画され、老生としては誠に光栄でした。上記した様に、私共が創設に参加した日本熱測定学会の多くの他のメンバーや、阪大理学部に設立された研究センター(昨年32年)で活躍された海外の研究者を含め多くの方々が活動されたことは本当にうれしい事でした。参加者の多くの方々から「日本では元首をはじめ、この様な基礎研究者を大切にする姿に対し、羨望する言葉」を戴いたことは、「文化を豊かにする日本の未来像」として有難いと存じました。

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磁気モノポール

2010年04月17日(土)
旧制19回のクラスは、HPやメイルを通して活発に情報交換をしておられるようです。偶然にも、一つのメイル添付文書を読む機会がありました。菅名誉教授による磁気モノポールに関する解説文です。内容は大変興味深く、かつ重要な話題かと思い、菅先生には無理を言って掲載をお認めいただきましたので、以下に収録させていただきました。ご高覧下さい。(永契会幹事)

磁気モノポール 
菅 宏(旧制19回)
陰陽の点電荷があるのに対し、対称的な点磁荷(N と S)が無いことが長い間の疑問でした。最近になって磁気モノポールが発見されたという報告がありましたので、経緯の順を追ってみたいと思います。 
 
つづきはこちら → PDF (584KB)
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関 集三(旧制3回)

1938年卒旧制3回同期生は19名でしたが、2006年からは、老生唯一人となり、淋しい限りです。老生、昨年春5月に満94才を過ぎました。前年同様、御指示により、その後の新しい身辺の変化を報告させていただきます。さて、現役時代の1975年に提案し、1979年定年退官の折、文部省に認可された熱測定を中心とした研究センターが10年毎に3回の組織変更を経て、昨年30年で終結いたしました。その間の研究成果は、旧制19回生の当時の菅センター長の卓見による"阪大化学熱学レポート"30巻に発表されており、改めてその成果に敬意を表します。御承知のように菅名誉教授は現役時代、Giauque(実験)、Pauling(理論)の2名のノーベル化学者による意見の対立があり(1935-36)、その解決の重要性を指摘したOnsager(理論)の計3名のノーベル化学者の努力にも係わらず、未解決テーマであった「氷(六方晶)結晶の残余エントロピー問題」(*)を、当時の研究グループの研究による"幻の氷"といわれた「氷XI」の発見により半世紀に亘る未解決テーマに終止符を与えた業績、及びその他のガラス性結晶の発見により日本学士院賞(1997)を受けられたことは皆様ご存知の通りです。この研究をふくめ、多くの優れた研究成果は上述した「レポート30巻」に永久保存されました。それらの業績の背景、私共が創設に関与した日本熱測定学会(本年第46回年会)の支援、さらには阪大理学部当局の後援により昨年4月、我国では類例のない標記のセンターが誕生しました。それには新制19回生の、これまでの現センター長稲葉教授の絶大な御尽力により、新しく独立法人化された大学で、"構造熱科学研究センター"が誕生しました。この歴史の発端に関係した老生の感激は一入でありました。皆様の御努力に厚く感謝いたします。回顧すれば恩師仁田先生の「構造とエネルギー」の両輪による結晶化学確立の哲学から、このような歴史的発展が刻まれたと申せましょう。
終わりにのぞみ、老生が上記レポートNo.20 (1999) に記しました、前世紀の巨人科学者アインシュタインの言葉を原語で再録し、併せてこのセンターの発展を祈りつつ結びと致します。

  If you should understand the nature of a substance, but are allowed only one type of measurement to understand it, choose the heat capacity.

(*) この残余エントロピー問題の平易な解説
文献:菅 宏:化学、41、No.8 (1986); 固体物理、41、No.8 (1985)、及び関集三:分子集合の世界、(なにわ塾叢書58、ブレーンセンター刊)(1996)p.194. などを参照されたし。

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総合学術博物館企画展

2010年04月13日(火)
総合学術博物館企画展
「漆の再発見―日本の近代化学の芽生え―」開催
江口 太郎(新制化18回)

永契会会員の皆様におかれましては既にご来館いただいた方もいらっしゃると存じますが、2007年8月に待兼山修学館(旧医療短大本館)に総合学術博物館の新展示場がオープンし、おかげさまで昨年末までの入館者は42,265名に達しております。現在は、その修学館3階の多目的ルームで、第10回企画展「漆の再発見」を3月20日(土)まで理学研究科との共催で開催しています。是非とも足を運んで頂きたく存じます。この展覧会においては、永契会会員の名誉教授、現役の教員および大学院の在校生諸君の多大なる協力を得ました。大学博物館の役割をご理解いただく好例となっていますので、以下簡単に紹介させて頂きます。
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卒業生報告

2009年11月26日(木)
菅 宏(旧制19回)

 化学科23回生(昭和50年関研究室卒、日鉱金属勤務)安部吉史氏は、銅精錬の残渣とも言うべき電解殿物を処理して銀、金、白金などの貴金属を取り出す技術を大いに改良し、その功績が認められて資源素材学会の第74回渡辺賞を受賞した。このような改良に伴って同社の殿物処理能力は著しく高められ、生産能力は金 2,500 kg/月、銀 32,000 kg/月、パラジウム400 kg/月、白金 40 kg/月、などに高められるとともに、それぞれの品質も向上した由である。賞の授与は同学会の第123回通常総会(2000年3月)にて行われた。いささか情報の到着が遅れたが、このような報せは各クラス会代表、その他を通じて遅滞無く永契会幹事に届くことが強く望まれよう。卒業生の社会的活躍を伝えるのもNEWSLETTERの持つ大きな使命である。(文責:名誉教授 菅 宏)

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